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    日本の家をウズくする③ 寝室

    寝室に ミニアチュールを再現した ブハラの鳥ちゃんスザニ

    バーンと飾ろうと、

    木枠を作り 100円ショップのタッカー(どでかホチキス)で バチバチ留めた。

    大きすぎて ヨレヨレしていたスザニも

    ピンピンに張ったら 結構立派に見えてウレシイ。
    鳥部屋1
    ベッドの手前には アヴァス特製の 鳥ちゃんスンドゥク

    ベッドサイドには お手製 鳥ちゃんランプ
    アドラスランプ 2

    寝室は鳥ちゃんだらけ。


    ウズベクの人は鳥の声で目覚めるのが好きだそうで

    小鳥を飼う習慣があった。

    これで窓辺に鳥かごでも吊るせば もっと雰囲気が出るんだろうけれど

    タシケントの家にぶら下がっていたような

    アトラスを貼ったカワイイ鳥かごは 今ではもう作られていないみたい。

    (ヒョウタンを使った鳥かごなら ハスティ・イマムのメドレセで製作)


    せめてウズいシルエットの窓にしたくて

    カーテンは、じょっきり切ってみた。
    鳥部屋3
    ちょっとラインが ヨレっとしちゃうけど、

    こんなんでも 足を踏み入れた瞬間は

    結構ハッとするほどウズいわよ (笑)。
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    日本の家をウズくする④ 棚

    リビングのカウンターに ↓ミフラーブっぽい飾り棚 を作りたい。
    マヒホサ壁

    けれどね、 ここは彼の家でもあるわけで、

    私のウズ愛を知らぬ 彼の同僚か上司でも訪ねて来た日には

    家にミフラーブがあってはドン引かれるのではなかろうか。


    それにここまでのクオリティのものはとても作れないし

    地震で物が落ちない作りでないと困るし

    掃除も面倒だからフタ付きが良いし

    部屋が狭くなるのもイヤ。

    やっぱ棚にまでウズさを求めるのはムリかな。


    とりあえずそんな話をしつつ 彼のDIYが始まって2週間、

    彼のできる範囲で要望を取り入れてくれたのが↓コレ。

    ミフラーブ風棚

    おや、このシルエットはブハラの↑カラーンミナレットね。

    ほっほーぅ、なるほど、

    彼が見たウズはこうだったのか。

    ミフラーブ風棚 修正

    こういう棚がウズにあるかって言われたら、もちろん無いんだけど

    でも我が家にとっては至極 現実的なミフラーブになった。

    戦争とウズとロシア① ジャムの裏側

    連日 戦争の記憶を伝えるテレビ番組が続いている。

    私は、戦争を知らない子供たち の そのまた子供の世代で、

    祖父も戦地には行っていないから

    戦争の話を直接聞いたことはない。

    それでも、やはり昭和生まれ。

    どこかでやっぱり 戦争の傷跡を感じながら育ってきたのだと

    ウズベクに暮らしてみて改めて思うようになった。


    以前、ジャムの話を書いた。

    あの話には セットになっている記憶が もうひとつある。


    NHKを見ながらトーストにバタを左官の様に几帳面に塗り、

    そこに いちごジャムをのせて、ミルクたっぷりの紅茶を飲む。

    幼かった頃の毎朝お決まりの時間、

    お決まりのニュースと朝の連続テレビ小説、お決まりの朝食 ―

    だが、私にはいつものNHKよりも

    ある時期のNHKの方が強烈に印象に残っている。


    ひたすら白黒の顔写真が映し出され、

    名簿の様なものが読み上げられるだけの時間。

    「リ キンセイさん、推定年齢42歳、B型、日本名カズオ又はカツオ、

    奉天で養父母に預けられる、鼻の下にほくろ、右太ももに3cmの傷…」。

    この時期は、これをじっと見ながらトーストをかじっていた。


    父に聞いたことがある。

    なぜあの人達は大人なのに自分の名前や年がはっきり分からないのかと。

    そうして初めて戦争の恐ろしさを知った。

    戦争になったら、私もどこかに置き去りにされて、

    父母の名前も自分の年も忘れてしまうかもしれない。

    保育園に通う私よりもっと幼くして親にはぐれてしまった子供は、

    どうやって生きていけばいいのか。

    無性に恐ろしかった。

    推定年齢というその歳よりはるかに老けて見えるその人たちの顔に、

    その苦労がしのばれて、知るはずもない彼らの情報に 私は毎朝真剣に耳を傾けていた。


    その時期の夜は、今日新たに身許が分かったのは何名、と

    涙を流して抱き会う彼らのニュースを見ながら夕食を摂った。

    日本の叔父だとか兄だとかいう肉親よりも 若いはずの彼らの方が、

    やはりずっと老けて見えた。

    そして抱き合って喜ぶ姿を じっと見つめるだけの人たちの姿が映った。

    一度も誰とも抱き合わないで帰る人は多く、しかもその数は年々増えていった。


    やがて私は彼らの定宿施設のすぐ近くに引っ越した。

    しかしその頃には既に、彼らの肉親捜しに成果はほとんどなく、

    そしていつしか彼らは来なくなった。


    その後、日中史を知るにつけ、

    あの人たちが旧満州で何を見て来たのか、文革中どんな目に遭ったのか、

    あの乾燥した肌に刻まれた深いしわを思い返してきた。

    日本に帰国した彼らとその家族もまた、日本に馴染めない現実があることも知った。


    私がウズベキスタンはじめ中央アジアに抑留された日本兵や、

    強制移住させられた高麗人に興味を持ったのは、この記憶ときっと関係がある。

    ウズベクに行って以来、そんな気がしている。

    戦争とウズとロシア② ソ連

    私が小さい頃から食い意地がはっていたことを物語るエピソードとして、

    叔母が繰り返し 人前で披露してしまう話がある。

    すなわち、幼い頃の私は、教会で出されたボルシチを皿まで舐めた、

    という とっても恥ずかしい話である。

    それでもこの話を書くのは、これが私が出来る数少ない戦争の話だからだ。


    母方の祖父母は教会で出会った。

    祖父は赴任したての新米牧師で、

    祖母は高知で有名なクリスチャンの家の出だった。

    しかし戦時下ではクリスチャンの肩身は狭く、

    祖父は牧師をやめ祖母を連れて郷里の福島に戻った。


    祖父は戦争の話を一切しなかった。

    夏休みに帰省するとどうしてもテレビは戦争特集になるが、

    それも見たくない、思い出したくないから、と

    部屋にこもってしまう程 戦争の記憶を避けていた。

    祖父は戦争に行ったのかと母に問うと、

    戦地には行かなかったが、どうもスパイとしてソ連潜入するべく

    終戦ギリギリまでロシア語などの秘密訓練を受けていたらしい、と聞かされた。

    そこでどんなことがあったのか、結局祖父は戦後も牧師に戻ることはなかった。

    祖父が信仰を捨てたのかまでは分からないが、

    少なくとも牧師でいることに疑問が沸いてしまったようだと母は言った。

    だが一方で祖母は死ぬまで教会通いを続けていたし、

    葬式もキリスト教式だった。

    母達も幼い頃は日曜学校に通ったし、

    私も一時期通っていたので、クリスマスには讃美歌を歌った。


    ボルシチが出されたのは、この祖母が通っていた福島の教会の、

    日曜礼拝後のランチでのことだった。

    私はまだ3つか4つで、母が帰省した折 たまたま連れられて行ったのだった。

    生まれて初めて食べるボルシチは衝撃だった。

    こんなにうまいものは初めてとばかり夢中で平らげ、

    つい皿までベロリンベロリンと舐めてしまったようだった。


    この時の話を何度もされては笑われる私は たまったものではないが、

    それでも母は、時折 私を新宿のロシア料理屋に連れて行って

    ボルシチとピロシキを食べさせてくれたのだから、

    やはり私はこの時よほど美味しそうに食べたのだろう。

    ここの牧師さんは満州帰りで、本場仕込みのボルシチだったからね、と

    後に聞かされた。

    満州は中国で、ボルシチはロシア料理で、

    いったい なぜ それが本場仕込みになるのか、

    地理に弱い私は全くつながらなかった。


    けれど、満州から引き揚げてきた人の多くが 思い出の味にボルシチをあげること、

    ソ満国境の緊張とソ連兵の侵攻、といった背景を知るようになって、

    ようやくあのボルシチの味を理解した。

    そして、自分もロシア語を学ばざるを得ない境遇におかれ

    ウズベキスタンでボルシチをすするようになった。

    ジャムと言いボルシチといい、ソ連の味には不思議と縁がある。

    ソ連は近かったのだ。


    昨夏、帰国した私は 知床を旅して

    生まれて初めて国後島を見た。
    国後
    サハリンの島影も見た。

    驚くほど近かった。

    ロシアとの、ソ連との距離を肌で感じた。


    こんな話を聞いていた。


    戦争が終わって、やっと戻ってきた元兵士が、

    ソ連領になってしまったサハリンに残っているはずの家族を探して

    手漕ぎボートで北海道から密航したところを、

    スパイ容疑でソ連兵に捕らえられ

    強制労働の役で カザフスタンに送られてしまった。

    彼の家族は前後して本州に帰国していて無事だったのだが

    その知らせは彼には届かなかった。

    その後の人生は 抑留された元日本兵とは全く違う道をたどった。

    彼は日本に帰る術がなく、カザフに留まり そこで家族を持った。

    それから およそ50年、ソ連が崩壊し

    たまたま取材に来た新聞記者と出会って日本の肉親が見つかるまで

    彼は家族の安否を知ることも 日本の土を踏むことも なかった。

    戦争は終わっていたのに。

    家に帰ろう 家族に会おう と しただけだったのに。

    ソ連が近すぎて広すぎた。

    戦争とウズとロシア③ 戦った人びと

    昭和の日曜日のデパートは、白い人の記憶から始まる。

    あの頃、デパートの前にはたいてい

    真っ白い服を着たおじいさんがゴザをしいて、日がな一日座っていた。

    傍らに杖をおいて、手や足がなかったり眼に包帯を巻いていたりした。

    たいていは軍歌のテープを流していたが、

    或いはアコーディオンやハーモニカなんかを演奏したり

    自分で歌っていることもあった。


    あの人たちは何をしているの と母に聞いた。

    ショウイグンジンという言葉をそれで覚えた。

    戦争に行くと、怪我をして働けなくなることがあるということと、

    中には怪我をしたふりをして 働かずにお金をもらおうとする人がいる

    ということを知った。


    あの人たちはあそこに座っていれば 食べていけるだけお金をもらえるのか、

    家族はいるのか、目の見えない人はここからどうやって家に帰るのか、

    手のない人はどうやってお料理をするのか、

    偽物のショウイグンジンがお金をもらったら

    本物のショウイグンジンは困るんじゃないのか、

    偽物のショウイグンジンはどうやって見分けたらいいのか、

    デパート前に来ることもできないほどの怪我をしたショウイグンジンはどうしているのか、

    次から次へと心配になって母に聞いた。

    ショウイグンジンを一日ずっと遠くから観察して 帰る家までついていきたい とさえ思った。


    私にとっての最初の戦争の記憶のひとつであると同時に、

    初めてディスアビリティーを認識した存在だった。

    ヘレンケラーを読むよりもずっと前の話。

    彼らはやがて姿を消した。どこへ行ったのだろう。


    ウズベキスタンでは、毎年 対独戦勝記念のパレードがある。

    軍隊でモンゴルにいた、アフガン侵攻に加わった、という話を聞くこともある。

    日本より戦争が近くにあった。

    退役軍人はまだ姿を消していなかった。

    それにタシケントの日本人会では

    毎年 春と夏に 抑留者のお墓にお参りをする。

    私は帰れるけれど この人たちは帰れずに客死した ということの重さが、

    海外駐在者にはリアルに響く。


    パリで たまたま11月11日の休戦記念日に 戦没者慰霊のパレードを見た時には、

    退役ベテランにまじって

    白黒縞の囚人服を着たお爺ちゃんが歩いているのをみつけて驚愕した。

    収容所を生きぬいた彼は まだその人生を生きているじゃないか。

    まだまだこんなに強烈なメッセージを振りまいて歩いているじゃないか。

    日本は、忘れすぎなんじゃないか。


    こういう自分の何気ない記憶が戦争とつながってるってことを

    私はウズにいる3年で ようやっと認識できた。

    私はおそらく、日本が戦争したことの傷跡をかろうじて見ることのできた

    最後の最後の世代だ。

    最近の子は ショウイグンジンも ザンリュウコジも知らないだろうし

    聞いてもイメージできないだろう。

    それはとても幸せなことだ。

    でも知らないことには謙虚で慎重でありたい。

    もはや日本人の約8割が直接戦争を知らない70歳以下だ。

    私達は戦争を知らない。

    これからも戦争を知らない国の民でありたいし

    私達のせいで家族を失う人など いてほしくない。

    何卒なにとぞ。

    抜けないウズ癖

    ウズベキスタンでは、プリングルスは高級品だ。

    輸入品だから 値段が国産ポテチと比べて

    べらぼうに高いのはもちろんだけれど、

    その空き容器にすら価値がつく。


    嘘だと思うなら、ヤンギアバットバザールか

    その辺のフリマっぽい露店に行ってみれば良い。

    筒の部分だけだったり、プラスチックのフタだけだったり

    いずれにしろ絶対 プリングルスの空き容器が売られているはずだ。


    実際プリングルスのフタは、とっても便利なのだ。

    私もこのフタは捨てずに愛用していたし、

    日本に帰って来た今も つい捨てられない。


    何に使うかというと、
    150812010314 (350x263)

    コップやマグカップに ぴったりのサイズなのだ。

    密閉は出来ないけれど、大概のカップにかぶせることができちゃうの。

    稀に密閉もできるくらいぴったりな 小鉢や瓶にも出会えちゃう。


    ちょっとフタをしたい時ってあるではないですか。

    作業している人に、ここに置いとくわね~と飲み物を出す時、

    ティーブレイクを終えて席を立つ時、

    ちょっとした乾物を水に戻している時、

    そして冷蔵庫内でスタッキングしたい時、

    ラップじゃなくて フタ! これは便利。


    日本には、吸盤になるシリコンラップが 今や100円で売られているから

    必要無いんだけれど、

    ウズベクでは本当に便利だったので

    つい日本でも取っておいてしまう。


    ちなみに、↑の画像にあるコップも

    わざわざウズベクから買って帰って来たもの。


    今やガラス製品は ほとんどがトルコ辺りからの輸入なので

    余計なデザインや色柄が付いているくせに

    結構高い値をつけているウズベキスタン。


    でもこのコップは、

    ソ連時代のスタローバヤ(食堂)で コンポータを頼むと出てくるような

    超レトロなコップなので 最近のウズでは見向きもされていない。

    けれど シンプルで丈夫で使いやすく、かつ激安。

    ウズの民芸、と言って良いのでは。


    ウズでコップを揃えたい方には とってもオススメ。

    チョルスーの金物屋で見つかる。

    騙されないで!

    また。またもや ウズベクスムが詐欺の手口に使われた。

    【大江の70代男性、特殊詐欺3300万円被害 外貨投資名目、ゆうパックで送金】

    山形新聞 2015年08月15日 10:20

    県警捜査2課は14日、外貨投資名目の現金送付型詐欺で、
    大江町の70代男性がウズベキスタン通貨「スム」の購入を持ち掛けられ、
    現金約3300万円をだまし取られたと発表した。
    県警によると、県内の特殊詐欺の被害額では過去3番目に大きいという。

    同課によると、男性宅に今年3月ごろ、
    「アローズジャパンのアンドウ」を名乗る男から電話があった。
    男は「1000スム紙幣1枚は15万円」と、実際のレート(1000スム約50円)とはかけ離れた
    うそを言った上、「スムの価値は3年後に3倍になる」などと投資話を持ち掛けた。
    後日、別の男が「日本でスムを扱っているのはアローズジャパンだけ。
    1000スム紙幣1枚を45万円で買い取る」と言ってきたほか、
    男性の元にウズベキスタンを将来有望な国として紹介するパンフレットが送られてきたため、
    話を信じてしまったという。

    その後、男性はスム紙幣を手に入れるため、
    4月から7月にかけて17回にわたり、計約3300万円を長野、沖縄両県の個人宛てに
    ゆうパックで送金。
    資金は預金を崩したほか、知人に借りるなどして用意したという。
    男性の元には送金のたびに紙幣が届いていた。

    7月末に一連の経緯を知った男性の息子が男性と一緒に警察に相談。
    だまされたことが分かった。
    同課は「現金を宅配便などで送るよう指示するのは詐欺の手口」と注意を呼び掛けている。



    つまり、この人は 公定レートで11000円 実勢レートで8000円前後のソムを

    3300万円払って買い、

    この人のもとには

    220枚の1000ソム札が届いていたということになる。

    1枚で15万円分もする紙幣が存在すると信じてしまうほうも衝撃だけれど、

    こんなに現実と乖離した詐欺を考え付くなんて もう ひどすぎる。

    これは氷山の一角で、まだまだひっかかっている人はいるのかも。

    2束以上 大量のソム札を日本まで持ってきたのは一体だれか。

    これにウズベク人が関わっていませんように。

    こんなことでウズベクの名前をニュースにしないでくれよ。

    日本の家をウズくする⑤ クッション

    軽くてかさばらないという理由で、

    気軽に買いまくっていた ウズのクッションカバー。

    日本に戻ってから ワタを詰めてみると、

    ちょっと驚愕の数…
    クッション

    それでもあちこちの部屋に分散させ

    リビングに残された精鋭に、

    頬ずりしつつテレビを見たり

    よだれを垂らしてうたた寝したりするうち、

    特に↑奥列中央の一番お気に入りのスザニちゃんが

    なんだかワントーンくすみ、縫い目が裂けたりしてきた。


    ホント、ウズの人たちは 縫い代をあまりとらないで

    ジャカジャカ縫っちゃう傾向にあって

    袋縫いとか二重縫いとかもしないので、

    ただでさえ 太糸で割れやすいアドラスやスザニ地なのに

    それで仕立てたものが ますます裂けやすいんである。


    というわけで リメイクを実行した。
    クッション リメイク


    さて、タシケントにいるとき

    ドロップ型のビーズクッションを
    ドロップクッションこういうの
    好きな布でオーダーできる

    工房があって、私はずいぶん迷っていた。

    座り心地はとても良かったし

    アドラスで作ったら さぞカワイイだろうと思ったが、

    でも座ってゴロゴロしているうち裂けてくるんじゃないか。

    それに日本に戻るとき

    ドロップ型の場合、中のビーズもろとも持ってこないと

    ちょっと困るかも。

    でもそれでは かなりのシッピング費になってしまう。


    そんなこんなで 諦めたのだけれども

    今週、無印良品で ビーズクッションをセールをしていたので

    思わず買ってしまった。

    そして 在庫のアドラスをカバーに縫いつけてみた。
    クッション ちょいたし

    お、なんか ウズいじゃーん。

    嬉しくて座った途端 あまりの気持ちよさにストーンと眠りに落ち、

    さっそく寝汗でシミをこさえた。

    秋の夜長に

    ラヒモフ窯で最後の最後にできあがったのは

    キャンドルランプだった。

    アリシェル先生が編み出した

    モルタル吹き付けのような ざらりとした肌触りの漆黒のシリーズがあって、

    私はそれを真っ白で作りたいとお願いした。


    そしたら、その吹きつけに使う土は

    特別なところから取って来なければならないので

    ちょっと春まで待ってね、ということになって

    仕上げが進まないまま

    私の出発ギリギリに焼きあがったのだった。

    キャンドルホルダー

    メドレセの窓をイメージしてデザインしたので

    この中から灯りがもれると

    ウズの旅の夜 ― 秋のヒヴァの満月 なんかを思い出す。

    ウズ旅には いい季節が始まるなー。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して3年
    経ちますので
    情報はどんどん
    劣化していきます。
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