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    アフロシヤブ号で日帰り?お泊まり?

    最高気温30℃ 最低気温12℃ 湿度15% 晴れ

    ウズベキスタンは絶好の旅シーズンに突入だ。

    ウズベクの旅で、まだ書いていなかったものを、

    忘れないうちに載せておくことにしよう。


    まずは、タシケントから一番気軽に行ける世界遺産の街 サマルカンドから。


    タシケント駅からでる列車のうち最も新しいのが、

    2011年10月8日一般運行開始の アフロシヤブ号。

    間もなく開業丸3年になる。
    アフロシヤブ
    スペイン製の車両で、最高時速は250km。

    2012年からは サマルカンドまでのおよそ350kmを2時間10分でつなぐ

    快適な ウズベクの新幹線だ。


    ハイシーズンは満席も多く、一般席から埋まっていくが

    ビジネスクラスなら直前でも可能性あり。

    飛行機と違い、仕様・料金とも 一般席とそう大きな差はないので

    我々ガイジンには「あぁ旅の予算が~ TдT 」とならずに払えるお値段だ。

    ビジネスクラスに乗るウズベク人はとてつもなくお金持ちそうな香り。
    アフロシヤブビジネスクラス

    3時間半かかるレギスタン号では 各コンパートメントごとにソ連映画のビデオが流れ

    カルジンカのサンドイッチが出たが、

    ここではカップケーキと紙パックのジュースが出されるのみで 映画は無し。

    そのかわりに、グリちゃん推しの雑誌が各席に置いてあったが

    今はどうなっているだろうか。


    友人知人が日本から訪ねてくる場合 サマルカンド行きは絶対だ。

    当然このアフロシヤブ号の予約は、

    私達 駐在者がやっておくべき必須事項になる。

    ところが、ウズさんは 列車でも飛行機でも

    パスポート原本がないとチケットが買えない決まりだ。

    以前は頼み込めば コピーで予約を取らせてくれた場合もあったものの

    今は個人ではそれは出来なくなっている。

    というわけで方法は、旅行代理店に頼むしかない。

    日本から旅行代理店に頼むこともできるが、

    ウズの代理店に頼む方が手数料が格段に安いので

    ウズベクを訪ねてくる人がいたら、

    いの一番に パスポートコピーのデータをもらっておくと良い。


    そして次に聞かれるのが、オススメのホテルである。


    サマルカンド観光の魅力のひとつは

    古民家を改装した旧市街のB&Bに泊まることだと思う。

    こんな、車が一台通れるかどうかの細い入り組んだ路地の中に
    旧市街

    昔ながらの 中庭とアイバンを アンティークのウズ工芸で飾った
    legend.jpg

    素朴でカワイイ宿が点在しているのだ。

    朝食は庭で、手作りのサマルカンドナンやピロシキやバターやジャムを。
    legendの朝
    水差しや そろばんなど 骨董品も気軽に手に取ってみることができる。

    (↑写真は すべてLegende *読み方はロシア語風にレゲンデ)

    夜 宿の人にチャイを入れてもらって おしゃべりしたり、

    朝 路地を散歩すれば

    素朴なナン屋さんが 一生懸命 生地をこねたり
    ナン屋さん

    ナンを焼いたりしている所に出くわす。
    ナンのかまど

    素敵でしょう?


    WiFi Freeにしているところも増えている。

    でも、時期的に、あるいは突然の故障で、

    ガスがない 電気がない は ものすごくあり得ること。

    寒いとか、シャワーのお湯が出ないとか、料理が出ないとか、

    WiFiあるって言ったのにないじゃん とか、

    まじか~という目に会うことも覚悟しておかなければならないのだ。


    一泊だし 噺のタネにと笑って済ませられる、という人なら良いのだけど

    それで風邪をひいてしまうのも困るし、

    今日はお風呂のない砂漠の方へ行くとか

    これから車でブハラまで長旅を控えているとかの

    日程予定によっては、しっかり休んでおきたい人もいるだろう。


    例えば 情緒には少ーし欠けるが

    B&Bとホテルの間のような規模・設備の
    ホテル カミーラ (350x263)
    カミーラ↑のような宿もあって、清潔感があってお安目。

    ウズベク人と一緒に泊まった時はここを選んでくれた。

    宿の主人は髭のおじいちゃんで、いるだけで雰囲気がある。

    宿泊客には、サマルカンドというパッケージのお茶の茶葉をひと箱

    くれるサービスがあった。


    交通の便のいいところに 結構キレイ目のホテルもある。

    この↓マリカ プライム ホテルは 外見 重厚、
    マリカプライム外観

    お部屋は近代的、フロントは英語が通じるし タクシーも絶対知っている。
    マリカプライム
    だからと言って、サービスが行き届いているわけではなく

    予約が伝わっていなかったり、

    スム払いは実勢レートで請求されたり、

    なんかイラっと来る面もある。


    でも、一歩外に出れば 目の前にルハバッド廟がある。
    ルハバッド

    グリ・アミール廟を望む14世紀の建物で、扉の彫刻は特に印象的。
    ルハバッド内 (350x263)

    入るのは右足、帰るのは左足からだよ、と教えてくれた
    ルハバッドのおじいさん (263x350)
    おじさんが、説明とお祈りをしてくれる。

    その声がとってもステキで、

    ホテルの些細なマイナスポイントなんてどうでもよくなる。

    起きてすぐ、誰もいないルハバッドやグリ・アミールを見て周れるメリットは大きい。


    どこがベストの宿かは、その時期 その日 その人によるのだよね、やっぱり。

    ウズ語が分かる人と ロシア語が分かる人とでも 聞こえてくるものは違うし

    英語や指さしで乗り切る人と ガイドを付けて周る人に 見えるものも違うだろうし

    それぞれの いろんなサマルカンドがあって、

    でも結局どれもステキ、どこに行ってもステキ、何度行ってもステキ、

    になると思う。

    大化の改新の頃にさー

    サマルカンドで好きな場所。

    挙げてしまうと月並みだけれど、

    シャーヒ・ズィンダ廟の 青い青い世界。

    シャーヒズィンダ

    コニギル・メロスの ゆっくりとした時間。

    メロス

    もうひとつ、アフロシヤブ博物館は血が静かに騒ぐ場所だ。


    ソグドの都であったサマルカンドの王に朝貢する
    アフロシヤブ博物館
    世界の使節達を描いた壁画が展示されている。

    インドやチュルクだけでなく中国、朝鮮からの使節まで
    アフロシヤブ博物館朝貢
    描かれていて、大変興味深い。

    日本に伎楽が伝わったとされる頃、7世紀半ばのものと言われている。


    伎楽に用いられた面や楽器や衣装は、

    インド・ペルシャ・中央アジアから中国に伝わり、

    それを習ってきたという百済(朝鮮)の人によって日本へ持ち込まれた。

    歴史の筋道としては、シルクロードや西域との交易からもたらされた

    と分かっているつもりでも、

    この壁画は、中国朝鮮が ここサマルカンドまで来ていたことを

    如実に物語っているわけである。

    西からじゅんぐりに東へ東へやってきただけではなく、

    そっか、東からも ここまで来ていたのか。そうだよねー。

    こういう風に実際やってきて、

    そして仕入れたものや情報が日本まで伝わった、

    それがどういうことだったのかを

    具体的にイメージできる 証拠のような壁画なのである。


    この壁画の頃は 白村江の戦いもおきている。

    以前、その舞台を 韓国に訪ねた時、

    よくぞ7世紀に こんな遠くまで1万人も戦しに来たもんだと驚いたのだけれど、

    韓国なんて全然遠くなかったわけだ。

    同じ頃、ウズベクからアフガンあたり(とする説もあるどこか)の王族が 日本に来て

    奥さんを置いて行った という記録が 日本書紀に残されているのである。

    朝鮮の使節団が朝貢の帰りに ソグド人の王族を連れ帰り、

    ついでに日本見物します?なんてことは、決して不可能じゃなさそうだ。

    そんなことを考えながらこの壁画を見ていると、

    もう 脳みそが幸福汁でいっぱいである。


    壁画の他にも、瑠璃や真珠や唐三彩風の焼き物やら、

    正倉院っぽい出土品と 東方の遺物も 多く展示されているので

    この博物館は、歴史ファンの方は訪れることを激しくオススメする。

    そして博物館を出たら、裏山に登るのだ。


    裏山は、アフロシヤブの丘である。

    ここ自体が 遺跡でありながら、羊や馬の遊牧地として放っておかれている。
    アフロシヤブの丘
    遺物なのか、ゴミなのか、判然としないけれども

    羊の糞に紛れて 焼き物片がゴロゴロ落ちているので

    なんかちょっとロマンなんだな。

    ゴミかもしれないんだけど、拾ってきちゃったり、するんだな。


    宝探しに疲れたら、一杯やりましょうよ。
    パルサー

    新市街にある 樽 を意味する ボーチカは、

    地ビール パルサーの生ビールが飲める店で

    地元のおっさんどもが集まっている。
    bochika.jpg
    ぐるぐるソーセージとか、まるごとおじゃがのシャシリクなど

    ビール党のハートをくすぐる ウズっぽくないルックスのメニューに

    ついテンションが上がるのね。

    ウズベキスタンの周り方は いろいろあるけど

    ウズベク観光のゴールデンルート

    タシケント ― サマルカンド ― ウルゲンチ(ヒヴァ)は

    鉄道、道路では つながっているが

    空の便は基本的に、

    タシケント―サマルカンド 
    タシケント―ブハラ  
    タシケント―ウルゲンチ

    と、タシケント発着路線しかない。

    稀に、サマルカンド―ブハラ   ブハラーウルゲンチ という

    地方都市間の便が、超ハイシーズンのごく一時期

    設定されることが あるにはあるものの、

    旅程に合う確率は低い。


    この3カ所を 一度に見て周るには、

    タシケント― ウルゲンチを飛行機、

    ウルゲンチ ― ブハラ ― サマルカンドを車、

    サマルカンド ― タシケントを列車 (もしくは逆コース)

    とするパターンが一般的だろう。


    ただ、この車の移動距離は相当なもの。

    一箇所 2日程度の旅ならまだしも、

    炎天下、1週間 長距離を移動しっぱなしは 結構きつい。

    車窓からの景色は得難いものだけれど、

    体力に自信のない方には、

    サマルカンド以西への移動は飛行機をすすめたい。


    予算が許すならば、

    タシケント ― サマルカンド は列車、

    サマルカンド ― ブハラ はタクシー、

    ブハラ ― タシケントは飛行機 (もしくは逆コース)

    で1セット。

    タシケント―ウルゲンチ は往復飛行機

    で1セット。

    と分けてしまうのが 体としては楽ではないかと思う。

    1セットと1セットの間は、タシケントの

    サウナスパ温泉やキレイ目のホテルで

    お風呂に入って ほこりを落とし 鋭気を養い、

    タシケントに見たいものがあるなら もう一泊して、

    ナボイ劇場、歴史・工芸博物館、チョルスーバザール見物や

    地下鉄めぐりなどに充てるのも良い。


    それでも

    ①日本出発 夜タシケント着
    ②飛行機でウルゲンチへ タクシーでヒヴァへ 観光 一泊
    ③ヒヴァ観光 夜の便でタシケントへ
    ④朝イチの列車でサマルカンドへ 観光後1泊
    ⑤サマルカンド観光 夕方タクシーでブハラへ 夜ブハラ泊
    ⑥ブハラ観光 夜の便でタシケントへ 即国際線用空港へ移動 日本へ
    ⑦昼すぎ日本着

    と、タシケントを一瞬も見ないで駆け抜けて 丸7日ぎっちぎち。

    タシケントを見たり、アラル海やフェルガナや、とやっていたら

    2週間あっても足らない。


    そんなわけで、ウズベキスタンの旅行は

    どうしてもダイジェストになりがち。

    でも気に入った人は、何度も来るだけの魅力があるのだから

    それならば、一点集中でも良いのではないだろうか。

    ひとつの都市を じっくりゆっくりのんびり見る。

    それなら、最短4日で ゆったりしたな~と言う印象の旅になる。

    休みも取りやすいし、これを都市ごとに繰り返すというのはどうだろう。


    …ウズにばかり そうそう来てはくれないか、やっぱし。

    仮にそんな奇特な方がいるとして、

    では まずはどこが一番オススメ?と聞かれると それはそれで困る。

    どこもステキだ。

    でも、 ヒヴァの旧市街は ツーリストの印象がすこぶる良い。

    言葉ができないとか どこに何があるか分からない人でも

    安心してひとり歩きができるので、

    他の街より リラックスして異国感を楽しめるようだ。


    ウズベクを、まず ヒヴァから始めてみる。

    良いかもしれない。
    タシュ・ハウリ宮殿 茶屋 (350x263)
    Khivaga Keling,Keling!(ヒヴァに おいで おいで)

    ヒヴァ・ウルゲンチの旅① タクシーをゲットするの巻

    ヒヴァより始めるウズの旅。

    最短はこのコース 4日間。

    ①日本出発 夜タシケント着
    ②朝ウルゲンチへ ヒヴァに移動 観光
    ③ヒヴァ観光 夕方タシケントへ
      スーパーで買い物 夕食後 空港へ 夜タシケント発
    ④昼過ぎ日本着

    でも、できればもう一泊つけてほしいの。

    ①日本出発 夜タシケント着
    ②朝または昼 ウルゲンチへ カラめぐり 砂漠のユルタ泊
    ③朝ヒヴァに移動 観光
    ④ヒヴァ観光 夕方タシケントへ
      スーパーで買い物 夕食後 空港へ 夜タシケント発
    ⑤昼過ぎ日本着

    これだと完璧。


    というわけで、②のウルゲンチ行きから

    完全自己満足のWEB上トリップを はじめましょう。


    タシケント発 ウルゲンチ行きの飛行機は

    時期にもよるが、朝7時か8時発と 昼1時発がある。

    もちろん朝イチで行く方が良いけれど、

    昼の便しか取れなかったら、それはそれで大丈夫。

    朝のバザールや タシケントのプロフの味を堪能してから

    空港に行けばいい。


    空港でチェックインを済ませたら、

    待合室にある自販機で お水を何本か買っておくと便利。


    ウルゲンチに着いたら、

    タクシーの運ちゃんが群がってくるので

    ここから交渉を始めなくてはならない。
    ウルゲンチ空港

    初めに声をかけてくるのは 牛耳っている強気のおっちゃんばかりなので

    その辺は無視して、ズンズン道路に向かって歩くと

    控えめな笑顔でたたずむ細身のおっちゃんの誰かと目が合うだろう。

    彼をいざなって 彼の車の方へ歩きながら行き先を告げ

    彼の車の前で交渉をすると、

    割りかし妥当なお値段に落ち着くと思う。

    このお客を逃さず この車に乗せたい、という心理が働くからだ。


    交渉は、

    今日はカラをいくつか周り アヤズカラのユルタに泊まる。

    明日は朝アヤズカラに迎えに来て、ヒヴァまで送ってくれるだけで良い。

    幾らで行ってくれる?と聞き

    自分が妥当と思う値段までディスカウントするだけ。

    ゆっくりハッキリ言えば、

    地名の羅列と、ジェスチャーと 数字くらいなら英語で 通じるだろう。

    幾らが妥当なのかは、その人の懐具合にもよるし

    シーズンにもよるし、なんとも言えない。

    私が最後に行ってから1年近く。

    どんどんどんどん物価が上がっているウズで

    「1年前は60ドルだった」というのは無意味なのだ。

    100ドルだって日本の半額以下、払って良いと思えば値切る必要はないわけで

    何としても半額に、とか 交渉は半額からするもの、とは思わないでほしい。

    吹っかける人もいれば、初めっから控えめな額を提示する人もいる。

    年のうち数カ月しか来ない外国人客を逃すと

    シーズンオフの彼らの収入は雀の涙、

    ある程度高い価格を言ってくるのは仕方ないことなので

    こちらの言い値といっても このくらいだといいなぁと思うより ちょい高め、

    お互い気持ち良く手打ちができる金額に。

    何しろ、何時間も一緒にいて命を預ける人だから、

    お互い気持ちよく、は大事なんである。


    支払いは、一番最後。

    ヒヴァまで送ってもらった後に払うこと。


    こういう交渉が面倒とか、言葉が通じないんではないかと不安な人は、

    飛行機や宿の手配と共にすべて旅行会社に頼んでおくしかない。

    マージンがとられるので ちょっと高めにはなるけれど

    希望金額を伝えておけば ある程度まで交渉してくれる可能性はある。


    さぁ、カラへ出発します。
    カラへ (350x263)

    ヒヴァ・ウルゲンチの旅② カラってなんだろう

    ウルゲンチは、カラカルパクの都ヌクスともかなり近く

    キジルクム(赤い砂漠)のオアシス アム川を中心に栄えた

    古代ホレズム王国の舞台だ。

    カラとはQal'aと綴り、 砦とか 要塞都市 というような意味で、

    ウルゲンチ空港から北東に車で1時間半ほど行くと

    紀元前4世紀から 7世紀にかけての

    遊牧民からの襲撃を避けるカラの遺構が点在している。

    カラMAPby Google MAP

    中でも大きいのが アヤズ カラと トプラク カラで、

    この二つはぜひ見ておきたい。


    その他のカラが どんなものが どれだけ どこにあるかは

    Karakalpakのサイトのカラのページに詳しい。

    何泊で どんな順番で こう周るといい、といった指南もあるので

    本格的にカラめぐりをしたい人にはとても参考になると思う。

    カラ点在状況は、キリル文字が読めるならこの地図が分かりやすく、

    キリルが読めないなら 略されているが この地図を参照のこと。

    更に、確実にGoogle Earthなどでチェックするための緯度経度一覧表まで載っている。


    カラのページだけでなく、

    トルクメンからウズベクにまたがる辺りの 歴史と衣食住について

    たくさんの画像つきで紹介されているこのサイト(英語)は

    乙嫁語りの世界に興味のある方にもオススメだ。


    さてさて、よほどの民俗学マニアか考古学マニアでない限りは

    カラはメジャーどころを抑えれば良いと思うので

    ドライバーには、先ほどの トプラク カラ と アヤズ カラ を伝えておき、

    飛行機が朝便なら トプラク カラをみてから アヤズ カラへ。

    昼便なら アヤズ カラへ直行して、トプラク カラは翌日 ヒヴァ行きの途中に寄ろう。


    朝便と仮定して、車はまず 1~2世紀の離宮 トプラク カラへ。

    高台の上には 風雨ででろでろに溶けた粘土の城跡がひろがる。
    トプラク・カラ
    気分は あめいず。全部の小部屋に入りたくなっちゃうよ。

    ゾロアスター系の宮殿なので トルクメニスタンのニサ遺跡を思い起こさせる。

    壁に空いた穴は 一体一体 ホレズムの神の像が↓飾られた
    トプラクカラ

    こんな感じ↓の 王の間だったらしい。
    トプラクカラの王の間

    この絵を 陶芸の先生宅の蔵書からみつけた時は

    ひゃぁぁぁぁっと言ってしまった。

    同じ本にあった パルティアやバクトリアと言った地名の出る古地図にも
    古代中央アジア図
    その名が載っているので 重要な砦城だったのだろう。

    私、いま歴史の中にいる~、という気持ちになれる。

    復元想像模型は ヒヴァの博物館で見ることができる。
    トプラクカラ図

    好きな人は2時間でもいられるだろうが

    炎天下だと結構つらいので 興味のない人は15分が限度かも。

    行くからには、ちょっと歴史や地理のお勉強をしていくと楽しい。


    すぐそばに ホレズム貴族の邸宅跡と言われる キジル カラもある。
    キジル・カラ

    ただここは現在、スズメ蜂の巣窟になっているので

    あまりじっくり落ち着いて見ていられない。

    行かなくっても良いかも、と思う。

    だって、アヤズ カラだって 似たようなものだもの。

    早く アヤズ カラに行こう。

    ヒヴァ・ウルゲンチの旅③ 薔薇色のアヤズ カラ

    道の両脇 ずーっと 砂漠というか土獏、の風景に飽きるころ

    アヤズ カラが見えてくる。


    朝の飛行機だったら、アヤズ カラに着くころには

    お腹が空いているだろう。

    まずアヤズカラのふもとのユルタで ランチ&トイレ休憩にしよう。

    アヤズ・カラ ユルタ (4) (350x263)
    ユルタについては次回に詳しくまとめる。


    食後は、待たせておいた車に乗って

    すぐ目の前のアヤズ カラまで ↓↓ 登ってもらう。
    アヤズカラ ラクダ2

    この一番大きな城跡は 紀元前3~4世紀ごろのもの。
    アヤズカラ1

    風化が激しく、もはや外壁だけしか残っていないようだが
    アヤズカラ3

    もとは日干し煉瓦が詰まれてできた建物であったことが

    ところどころ見て取れる。
    アヤズカラ内部

    遊牧民の攻撃から身を守りつつ農業をしていたホレズムの人々。

    その堅牢な城壁の想像の姿と
    アヤズカラ図

    その面影を残す実際の城壁。
    アヤズカラ

    眼下には 小さくユルタと その向こうに かすか~に湖が見える。
    アヤズカラからのユルタ

    見渡す限り なんにもない。

    2300年前の景色はどんなだったのだろうと想像してみる。

    今と変わらずこんな荒涼とした景色を

    ここに暮らしていたお姫様も見ていたのだろうか。


    360度の大パノラマの中、

    南側に 小さめのカラが裾野を広げている。
    アヤズカラ小

    ここは千年後の6~8世紀の ホレズム王に仕える藩主の家か、
    アヤズカラ全景
    といわれており、手前には やはりゾロアスター系の神殿跡がある。


    このさらに南側には、1~2世紀のカラがあるのだが

    ほとんど外郭しか残っていない。

    今は、ところどころにラクダ草が生えている

    ひたすらに広大な土があるだけ。

    よく見ると 大きなねずみのようなものが出入りする巣穴が点在し、
    アヤズカラ 巣穴

    きつねのような獣が2匹、軽やかに駆けていった。

    トカゲも家へ帰るのか早足で地中に消えていく。
    とかげさん


    強烈な陽が 傾きかけてきた。

    カラの上から 夕景を眺め、
    アヤズカラ 夕景

    また カラを降りて、

    夕日に染まる カラを眺める。
    アヤズカラ ローズ

    すげー。 なに この色。

    すげー。

    ヒヴァ・ウルゲンチの旅④ 砂漠に泊まろう

    先ほどのユルタまで 車で送ってもらって ドライバーはいったん帰る。

    このユルタが 今日のお宿。


    ここではラクダを3頭飼っているので

    トワイライトタイムは それはロマンチック。
    アヤズカラの夕焼け

    陽が落ちかけたときはカラにいるべきだけれど

    なんとしても落ちきる前に ユルタに帰ってくるべきなのである。

    だってほら、夕陽と ラクダちゃん。

    ラクダと日暮れ

    月下のアヤズ カラと ラクダちゃん。

    ラクダと黄昏

    絶対歌ってしまうもの、月の砂漠を。


    ところが、この時間はラクダちゃんだってお腹が空いているので、

    近づいて 目が合うと、エサくれるの? くれるの~? と
    ラクダ襲う2
    結構なスピードで追っかけてくる。

    必死で逃げるチモラーシカ。


    逃げながらも激写した ぶれぶれのラクダちゃん。
    ラクダ突進

    このスリリングなアクティビティーは無料。

    この追いかけっこを幾度か続けると

    ラクダちゃんは、な~んだ 何もくれないんじゃん ちぇーっ、と悟って

    自ら餌場へ移動していく。

    じゃ、私たちも そろそろ ユルタに入ろう。


    このユルタキャンプは、

    空いてさえいれば当日飛び込みでも平気。

    結構待たされると思うけれど

    泊まらなくても、ふらっと行ってランチや チャイで休ませてもらうこともできる。

    ただ、ここはUNESCOの支援が入っていて

    ヨーロッパの団体さん御用達。

    予約と到着時間の予告はしておいたほうがいいと思う。

    1泊3食 シャワー・トイレ付で ひとり50ドル前後と お高め。

    ランチの時間が合わずに 朝夕2食のみになっても 割引はない。


    かなりの数のユルタがあり、ひとつに6人くらいまで泊まれる。
    アヤズ・カラ ユルタ (4) (350x263)

    大きなユルタは食事専用棟。
    アヤズ・カラ ユルタ (3) (350x263)
    チャパンやテルパク(アフロ帽)、ドゥタールなど置いてあって

    着て写真を撮ったり おかみのラーノさんに弾いてもらえることも。


    さぁ、いよいよ暮れてくるアヤズカラ。

    アヤズカラの黄昏

    うっとり眺めて、とっぷり暮れた頃 夕ご飯。

    ある日は ショルパ(ポトフ風スープ)にサラダにナン、フルーツ。
    食 ユルタ1

    ある日は プロフ。
    食 ユルタのプロフ

    またある日の朝は フライドポテト卵焼きのせ
    食 ユルタの朝

    ある日は ショルパと ジャールコエ(肉じゃが)。
    食 ユルタの朝2

    寒い日は サービスでウォッカを付けてくれることもあり

    暑い日はビールがオプションなことも。

    とにかくその時あるもので できうる限り美味しい様には作ってくれる。


    夕食後は、星を見る。

    早めの歯磨きと トイレは必須。

    真っ暗を、不便を、味わう。

    夜明けには朝日を見る。

    アヤズカラの朝日2
    アヤズカラの朝日

    朝日って、全世界どこで見たって同じなはずなんだけど

    でも 海で見る朝日、砂漠で見る朝日、

    ウズで見る朝日、日本で見る朝日、違うんだよね。

    だから、ラーノさんの代わりに言います。

    泊まってかない? ねぇ泊まっていきなよ。

    ヒヴァ・ウルゲンチの旅⑤ 砂漠で生きている人

    シャワーがあるったって

    アヤズカラ 宿泊は、7~8月などの酷暑中は

    いやもうキツイよ、という意見も多い。

    ベストは6月や 9月なのだろう。


    反対に 10月は、朝晩もう かな~り寒い。

    水シャワーなんか浴びる気も起らない。

    遮るものが何もない砂漠の中では、

    風が強くて 砂にも対策が必要だ。

    帽子は飛ばされるので、ニットキャップやスカーフで、

    つるつるな服がベスト、サングラスとマスクは欠かせない。

    都会っ子は 風がビュービューいう音で眠れないので

    耳栓もいる。

    ライトダウンや 手袋も あるといい。

    それでも星や朝日を見るときは、

    ユルタの布団を1~2枚かぶっていないと いられない。

    朝食だって、満ちて来る日の光が待てずに この状況である。
    アヤズカラ ユルタ イシリク

    おじさんが、朝イチで イスィリク(魔除けの香草)を焚いて嗅がせてくれる

    この煙の暖かさすら ありがたい状態。

    朝ご飯が来た時は、もう 早くエネルギーを、カロリーをよこせ、と

    がっつくことになる。

    ご飯を食べている間に 陽が充分に登ると、世界は嘘のように暖かい。

    あぁ太陽はすごい、ビバ太陽、ご来光に拝む気持ち100%アグリーである。

    水はもちろん、チョコレートや ちょっとした食べ物も持参する方が良い。


    さて、昨日のラクダちゃん。

    朝食後とか、ランチを待っている間とか、

    おじちゃんの手が空いていれば

    有料オプションで 乗せてもらうことができる。
    ラクダとおっさん

    鞍をつけると すっかりおとなしく、
    らくだ鞍
    ウッフ~ン の~る~?と 飛び切りプリチーな サーラ10歳。

    追っかけて来た時の怖さは どこへやら。

    あれはどうやら娘のアイシャ3歳だった模様。


    おじさんに引かれ

    ゆっさゆっさ揺られながら ご近所一周歩いたり、

    写真を撮ったり、

    とっても砂漠らしい思い出になる。

    この料金は、ピチッと決まっていないみたいで

    5ドルの人もいれば25ドルの人もいる。

    まぁ、人によるみたいなので 納得いかなければ 明るく値切るべし。


    タタールの血が入っている しっかり者の女将ラーノさんは
    Rano opa
    UNESCOにとても感謝していて、

    ソーラーパワーで電力を賄えるのも、
    アヤズカラのユルタ ソーラー
    石造りの シャワールーム・トイレ・キッチン・スタッフの住居棟を建ててもらったのも

    私達には煉瓦を買うお金も建てる技術もないんだもの、

    UNESCOの支援無しには とてもできないことだったのよ という。

    観光客には がめついオバちゃんに見えることもあるかもしれないけど、

    話してみると 面白くてカワイイひと。

    中でも 日本人はもの好きにも 極寒のお正月に毎年泊まりに来てくれる人や

    ウズベク語ペラペラのJICAの若い子たちが大勢で遊びに来てくれて

    それがとっても楽しみなんだそう。

    ラーノさんにしてみれば、いつも同じ面々との暮らしで、

    なにしろ限られた観光シーズンに来るお客のほとんどが言葉が通じない。

    ウズベク語やロシア語が少しでもできる人が来ると

    おしゃべりできて嬉しいんだろう。

    だから、おしゃべり出来た人は、ラクダちゃんやなんか

    オプションがお安くなる率アップというわけだ。


    そんなこんなで、ユルタとのお別れも済んだら

    お迎えに来た車に乗って、

    一路 ヒヴァを目指す。


    アヤズカラの砂漠はこんな感じ。
    アヤズ・カラ (24) (263x350)
    砂なんだけど、砂漠と聞いてイメージするようなサハラ的な感じはない。

    だが、道々通りがかる左手には
    砂漠2
    こんな、サラサラ風紋つきの砂山が広がるので なんだか嬉しくなる。
    砂漠
    タシケントはオアシス都市だけれど

    そう、ホレズムは キジル クム。

    今は赤い砂漠の中にいるのだ。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して5年
    経ちますので
    情報はどんどん
    劣化していきます。
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