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    毛皮の帽子の季節が来た

    先週の ぽかぽか陽気だった霜月が明けると

    突如 雨の師走へ。

    今週はタシケントにも雪の予報が出ていて

    いよいよ どよ~んとした冬に入っていく。


    街でも 朝晩は おっさんたちが毛皮の帽子をかぶっているのを見るようになった。

    うっかり先月の感覚で外出すると、寒さで頭が痛くなりそうなので

    帽子をいろいろひっぱり出した。

    もうメーテル風の毛皮の帽子を買ってあるし、

    氷点下もどんとこいである。


    しかも今年は、あれがウチに来たのだ。

    ↓あれ たたんである図
    アフロ帽 (263x350)
    ↑あれ ひろげた図

    ↓あれ かぶった図
    アフロ

    そう、テルパクという ウズベクの羊毛帽子。

    黒毛は冬用、白毛は夏用で

    ホレズムなどを中心とした中央アジアで 男性が必ずかぶる帽子だった。

    アフロのかつらにしか見えないけれど、

    れっきとした民族衣装であり、

    本当に暖かい 生活の知恵が詰まった機能とデザインの帽子である。


    今はお土産屋さんなどで コスプレ写真用に置いてあったり

    観光客向けに 半分ギャグで売られているので

    正直買う気の起こらない、埃にまみれたものしかない。

    でもウズベク伝統舞踊なんかしている人達には必要なので

    良品をちゃんと今も生産し売っているところは あるんである。

    きれいなテルパクを買いたいなら、トルキスタン劇場の一階の売店がいいと

    ウズベク人に 聞いた。

    だいたい100,000ソム(3500円)で手に入るらしい。


    ウチにやってきたこの子は ウズベク人からの頂き物で、

    おいくら万ソムするものなのかは わからないけれども

    決してお安くはないものを、

    果たして気軽にギャグでくれたのか

    はたまた ウズ愛の激しいガイジンに喜ばれるに違いないと 真剣に選んでくれたのか

    なんとも ありがたいことである。

    …日本ではどうしたらいいんだろう、と今から悩ましいのだけれど。


    ホレズムは、夏暑く冬寒い砂漠地帯なので

    毛皮の帽子は名物。

    テルパクはさすがにちょっと、という人にも

    リス毛や オオカミなどの あったかい帽子が

    ホレズムの観光地 ヒヴァ・ブハラ・シャフリサーブスなどでは

    お手軽に路上販売されている。

    ちゃんとトーキョーでかぶれそうなデザインも見つかるけれど

    お店のイチオシは リュクスな装いの様で、

    ウズベクの叶姉妹…みたいな暑苦しいコーディネートが夏でもお出迎え。
    叶姉妹
    やはりワタクシ達は薄着だから 冷えないようにしなければ、ね、美香さん。

    変わりいくチョルスー

    私が好きなバザールはTTZなのだけれど

    お客さんが来たときに案内するのは、やはりチョルスーである。

    私が買うのは、もっぱら 布 手芸小物 瓶 クヴァス に限るが

    あの広さ、明るさ、熱気は いかにも中央アジアのバザールに来た!という

    ワクワク感があるので、ぜひ多くの人に見ていってもらいたいと思う。


    チョルスーバザールは、↓の青いドームを中心に
    チョルスー全景 (250x188)
    周囲にどんどんお店が増えていった挙句 この赤屋根の建物までが敷地。

    反対も同様に広がっていて、

    お土産屋と細工職人の棟があったり、布団屋、園芸屋など

    それぞれ専門ゾーンに分かれている。


    とんでもなく広いけれど、食料品は ほぼ

    この青いドーム周辺に集まっている。
    チョルスーバザール (250x188)

    ドームの中はこんな風で、意外と明るく
    チョルスー 内部 (188x250)
    中央には土産物屋が、

    その他は スパイス、米、ナッツなどの乾物コーナーと

    カッテージチーズなどの生系保存食コーナー になっていた。

    ドームの外側をぐるりと 野菜、卵、の屋台が取り巻き
    チョルスー トマト (188x250)
    トマトはピカピカに磨きあげられてきれいに積まれていた。

    さらにその手前に 屋根を渡して日陰を作り、

    そこで肉や総菜、入りきれない八百屋や ナン屋、ほうき屋かご屋が

    軒を連ねていた。


    ところが今、チョルスーは 大リモント(リフォーム)中。

    青いドームの中は全て出され、行き場を失ったスパイス屋が屋台を出し、
    チョルスーのリモント1
    屋根の下も半分が リモントのため 追い出され、

    今 行き場を失った ナッツ屋は屋根下の階段付近へ散らばり、

    野菜の屋台は ドームと屋根の間のスペースに 超密集で露店を建てまくり、

    それぞれ御贔屓があったのに、どこへ行ったか探すのは一苦労である。


    少し前に紹介した、タシケント中をひっくり返す大再開発の一環だと思うのだが

    こんな風にする予定なのだそうだ。
    チョルスーのリモント2
    …あれ?基本的に何も変わんなくない?

    ただ、小奇麗にするだけ、なのかな。

    なら良いけど、ごちゃっとした シルクロードの胃袋 的な豪快さは

    失わないでほしい。


    同様にミラバッドバザールはこの春すでに肉売り場のリモントを終え、

    見た目の印象も 大した違いはないのだけれど、

    アライバザールは やはり現在リモント中で 売り場の移動が著しいだけでなく

    屋根の途切れるところに 新しい建物を 結構長いことかけて作っているので

    ただでさえうす暗い陰気なバザールが ますます暗い印象である。

    本当にアライバザールは、リモントの手が入れば入る程

    活気が失せて 流行らなくなっているのではないか、

    こちらも老舗のバザールだというのに、その行く末がものすごく心配である。

    チョルスーバザールの血潮

    チョルスーバザールは、

    ナボイ通りの裏路地をくねくねと入って行っても 服や布エリアに着くし、

    クカルダシュメドレセの脇から入っても 服とカフェのエリアに、

    ザルカイナルの方から入れば スポーツウェアや 精肉売り場に近く、

    メトロで行けば 駐車場と青いドームに近いところに出る。
    チョルスー全景 (250x188)
    広いから何でもある。

    だが どこに何があるか分からないうちは 目当ての物を探すのは大変だ。


    衣料品が欲しければ、まずはこの チョルスープラザなる建物を探すと良い。
    チョルスー プラザ (250x188)
    このビルを中心に、その左右裏は

    ずらりと男女向けの服屋、靴屋、下着屋、が広がっている。
    チョルスー 服 (250x188)

    また、アドラスなどの伝統布は、このチョルスープラザに向かって左側の

    階段の上のエリア(駐車場の脇)に 3~4軒 ある。

    階段下にも1軒あるが、スノッブなオヤジが鼻につくので私は行かない。


    青いドームを取り巻く建物には、正面階段左手に

    1階に キッチンで使う小物金物(鍋 釜 瓶 茶器 テーブルクロス プラスチック製品)が

    2階に 布・手芸小物や 仕立て屋が入り、

    正面階段右手には 宝石屋・子供服・生活雑貨など 様々な店が入る。


    その手前は 青空フードコートになっている。
    チョルスー 食1 (188x250)
    シャシリクはもちろん
    チョルスー 食2 (250x187)
    プロフ、ナリン、ショルパ、ガルプチ、ナン、チャイ、クルト、漬物

    大概のものがあるし、指させばいいので注文も心配ない。

    ただ、まずい店はまずいので 鍋の減り具合や お客の入りを

    良く見てから店を決める方がいい。


    その奥は、伝統衣装を売っている一角である。
    チョルスー 伝統衣装 (250x188)
    チャパンやトンなど 伝統衣装を買いたい場合はここへ。

    男性用の真っ黒なゴム靴や革の室内ブーツも並んでいる。


    一方、ドーム左手の 前に広がるのは、

    スザニや チャパン、クルパチャ(長座布団)など

    婚礼支度に必要な一式がそろうエリア。

    その先にはさらに園芸エリアが続く。
    チョルスー 園芸 (188x250)


    他にも、お菓子ばかりが並ぶエリア

    ムンと臭いが立ち込める精肉エリア

    道路の向かいには アンティークショップ、楽器屋、綿花油屋など

    もうごちゃごちゃと建ち並びながら、

    ある意味では整然と それぞれ専門店が、

    2か所に分かれることもあるが 一応エリアを決めて、

    競合店 ライバル店同士が 肩を寄せ合い ひしめきあう格好で

    この一大バザールを形成しているのである。


    そんな訳で、

    ここで人と待ち合わせても 全く出会えないこともあれば、

    おもいがけず知り合いのウズベク人に出くわすこともあれば、

    欲しいものが見つからないまま

    なんじゃこりゃという出会いがあったり、

    何十年前から売れていないんだろうと思うような骨董があるかと思えば

    あら、と目を疑うような最新のものまで、

    とにかくカオスなワンダーランド。

    商売に一生懸命なソグド人の血潮が感じられて なんとも面白いのだ。

    ウズベク男子のファッション

    ウズベキスタンにいる間に、せっかくだから

    周辺のスタンと

    同じイスラム文化圏をいくつか

    そしてロシア語圏をいくつか

    ウズベクとの比較のために 周りたいと考えて

    これまで ちょこちょこ あちこちへ脚を伸ばしてきた。


    特にロシアでは、ウズベクの痕跡を探すのを

    ひとつのコンセプトにしていたので

    メトロなどで、注意深くマンウォッチングをして

    出稼ぎウズベク人を探した。


    やはりウズベク人は いるものである。

    大概は服装でそれと分かるのだが、

    時に ロシア育ちか 出稼ぎか 判別がつかない時もある。

    そこで私の方でも いつもどこかにウズベチカ スタイルを崩さず

    アドラスのバッグや服を身に着けて、

    私を見て おや、と反応するものはウズベク人、という

    自ら試験紙となっての判別を行った。


    メトロで出会うウズベク男子は、たいてい 切なげであった。

    メトロに乗っている以上 通勤退勤時だろうから、

    それは 切なげで当たり前だけれど

    ウズベクで出会うウズベク人は たいてい目や眉が笑っている陽気な顔に見えるから

    切なげなウズベク人を見ると、出稼ぎの苦労がしのばれて

    あぁ、お友達いるかな、とか、楽しい職場かな、とか

    要らぬ心配をしてしまう。

    それとなくアドラスのバッグを振ってみたりして

    向こうの視線が食いつくと、軽く笑ってみたりした。

    こっちの気分としては、同郷もんやで~、的な 笑みだが

    出稼ぎウズベク人にしたら 国籍不明のアジア顔にニタニタされて

    さぞかし気味が悪かったことだろう。


    ウズベク男子というのは、ファッションのスタイルが ちょっと独特

    かつ ステレオタイプなのである。

    普段は当たり前すぎて、こうして記事にしようとすると

    手頃な写真が無いのだけれど、

    以前、シーズンオフのブハラで らくだ代をおごってくれた

    見知らぬお兄さん達を 例にしてみよう。
    ラクダ代を出してくれたウズ人と

    昔の刑事ドラマに出てきそうな、ちょっと懐かし目なタイプの 合皮のハンチング帽。

    かなりタイトな アクリルセーター。

    柄は ほとんどの場合、黒とグレーとわずかに白 で構成された 幾何学模様か

    あきらかにパッチもんの D&Gとか ARMANIなどの ブランドロゴ である。

    それに 細身の 黒かグレーのスラックス、たまにジーンズ。

    上着は、裏にボアが付いた 合皮の革ジャン。色は必ず黒。

    ちょっとおしゃれさんで、ダウン風 中綿ジャンパーである。

    靴は、かなり若い子であっても イタリア親父が履きそうな

    メッシュなどの合皮のスリッポンを履いている率が高い。


    なにしろトータルイメージとして

    黒い。ピタピタ。帽子。

    遠くにいても シルエットで分かる。

    外国の空港で見かけるだけで、気分はウズベクへ引き戻されるほどだ。


    ところが、私のブログによく登場する近所のお兄ちゃんは

    割とおしゃれさんで、黒ピタスタイルに当てはまらない。

    今日のTシャツかわいいね、とか

    そのセーター素敵じゃないの、と褒めた日は

    これ、ヨーロッパからお取り寄せしたヤツ~、と 嬉しそうにいう。

    スマホから そういうのが得意な男友達と送料シェアで通販しているんだという。

    彼は 推定月収700ドルの3児のパパ。

    …え、ウズもそういう時代?

    ウズのキッチン道具②

    私の家は、実際にウズベク人一家が住んでいたので、

    家財道具は非常に充実している。

    食器や鍋類は、これでもかという大人数でパーティーしても、全く困らない。

    だから引っ越した当初は、

    引き出しの中に なんじゃこりゃ?と思ったものも沢山あった。


    ウズベクはスパイスの国。

    これで↓ゴリゴリ潰すのだそう。収納時はこんな風に↓コンパクトに立つ。
    ウズのキッチンから2 (350x263)
    ブハラやヒヴァの土産物としても よく見るのが、↑の ナン用スタンプ。

    ナンの中央に模様をつけるのに使うのだけれど、

    お菓子や陶芸など、日本でも応用できる使い道は一応ありそうとは思いつつ

    さすがの私も これは買って帰らないだろうと思っている。

    ロシアのウズベク人

    サンクトペテルブルクでは、100mおきくらいに寿司バーがあるのではという程

    寿司が外食の選択肢として定着している。

    ファミレス的なチェーン店もあれば、

    GINZAプロジェクトなる高級志向なコンセプトレストランもある。
    terrassa.jpg
    ↑サンクトペテルブルクのTERRASSAは ロシア人セレブに大人気。


    そういうところは、オープンキッチンになっていたりして

    厨房の働きっぷりが丸見えなので

    ここもウォッチングの格好の機会だった。


    ウズベクでもそうだが、寿司バーの板さんは

    ほとんどが 高麗顔だ。

    顔で選んでいるのか、包丁に慣れているのか、

    東アジアの民族は手先が器用だからなのか、

    韓民族のシェフが 寿司コーナーを担当している。

    彼らが、ウズベク辺りから出稼ぎに来ている高麗人か、

    ロシア在住の高麗人かは 見分けがつかないけれど、

    私がウォッチングした店では

    どうも出稼ぎ高麗人ではないだろうかと思った。


    ひとつには、サンクトペテルブルクに 在住高麗人はあまり多くはないこと。

    そしてもう一つの決め手は、鉄板焼きコーナーなどの部門や

    寿司の調理補助にいるのが 完璧なウズベク顔ばかりだったからだ。
    terrassa1.jpg
    材料費が高い分、出稼ぎ料理人を多用して 人件費を抑えているのだろう。


    高麗人もウズベク人も みな、時に楽しそうにおしゃべりしながらも、

    ピシパシ シャキシャキと鮮やかな手つきで 気合いの入ったお料理を

    展開していて見ていて気持ちがよかった。


    こうした出稼ぎ料理人が ロシアで修業し、

    経営形態や インテリア、メニューなどのノウハウを得て

    ウズベクに戻ってきて、

    同様に こじゃれたレストランを作らんと欲す小金持ちの

    雇われシェフになっているんだろうと思われる。


    私が知るウズベク男性は、この秋冬の間だけ

    ロシアのビニールハウス農家を手伝いに出稼ぎに行っている。

    ひと口に出稼ぎといっても、

    帰って来ても泊が付きそうな仕事とそうでない働き口があるのだ。


    夜のサンクトの街では、白夜の中、夕涼みにベビーカーを押して歩く

    アッパッパ姿のウズベチカを何人か見かけた。

    単身赴任の出稼ぎだけではなくて、一家で移住の例も少なくない。


    ウズベクからロシアに来ると、その物価の高さには本当に驚く。

    うっかりすると 二人で7000円位が ティータイム一回でとんでしまうのだから

    東京よりもはるかに高い。

    旅行者であっても おいそれと外食したり買い物したりする気にはなれないのだから

    出稼ぎに来たウズベク人達の普段の生活の倹約ぶりは

    まさに爪に火を灯して灯していることが想像される。

    楽しい出稼ぎライフだといいのだけれど。

    なかったことに?

    先日、次期ウズ大統領の座に王手をかけていると目される

    グリちゃんの政敵・アジモフ現第一副首相を 超一瞬チラと見る機会があった。


    北朝鮮では 張成沢の失脚で

    「偉大なる同士」というドキュメンタリーフィルムが修正されて

    彼の姿が消えている、という。

    彼は いなかった人 になってしまった。


    グリちゃんはどうなのだろう。

    カザフに逃げるというような噂もある。


    彼女のブランドショップGURI(時計台)は もぬけの殻、

    ミラバッドの DOM Styleはシャッターが下りたまま、

    CDショップのNIRVANAはクローズ、
    NIRVANA.jpg

    テレビやラジオでは 放送休止中だったチャンネルに

    すでに別局が入って放送を始めているし、

    FUND FORUMも 一時休止という案内を出したまま 自然消滅するという噂で、

    今のところ 予定されたキャンセル不可のイベントを

    粛々と消化している状態だという。


    戻れる居場所は どう考えても ない。

    そしてやがては、グリちゃん自身が ウズにいなかったこと になってしまうのかもしれない。


    別に私は グリちゃんが ウズにいようがいまいが どうなろうが

    それは どうでもいいんだけれど、

    FUND FORUMが消えるということは、以前心配したように

    2014年以降 Asrlar SadosiやStyle.uzが

    開催される可能性は 極めて限りなく低く、

    これまで数多く後援してきた ウズベクの芸術家の展示会 展覧会も、

    今後はスポンサーがなく 規模が縮小したり 開催できなくなったりするということだろう。

    ウズ人アーティストに 友達や知り合いもできた今、

    それは ちょっと切ない話だ。


    彼女のやってきたことは ウズのカワイイ☆振興には

    かなり役立っていたと 評価できると思っている。

    そんなことに使う金があるなら、という批判も 至極ごもっともなのだが

    形や方法を変えて残せるものは、継承してもいいのではないか。

    彼女を いなかったこと にすることに こだわるあまり、

    国益まで失わないように、それは本当にお願いしたいのよ、アジモフっち。

    会員絶賛募集中

    角出しも結べる付け帯 の 2本目が上がってきた。

    これでウズ帯は5本、全てリバーシブルなので 柄は10本分…。

    我ながら結構つくったものよ。


    今回は マルギランから行商に来ていた布屋の 厚手のアトラス、つまり正絹。

    グリーン×ゴールド と ピンク×パープル の 昼夜帯。
    つけ帯2弾 (350x263)
    でも実は、つながった一本の布だったのを 切り貼りして、2面に分けただけ。

    こんな↓パターンだったので、胴はそのまま活かして 右巻か左巻かで 柄だし。
    付け帯2弾 お太鼓の方だけリバーシブルにした。

    ピンクの方は ローレイというトルコ風チューリップ柄であるが

    グリーンの方は ちょっとマリメッコっぽくって 北欧の香りも。


    毎度このような設計図を持ち込むので、日本語まじりの説明でも何とかなる。
    付け帯のレシピ
    今回は アトラス4m 切り貼り部分の無地布2m に

    お太鼓のみアイロン接着芯で、〆て170,000ソム(6000円)程。

    生地が良いのと、ふたつのパーツに分かれているため

    お仕立て代が いつもより割高になってしまった。


    地道な活動紹介を続けたおかげか、とうとう

    私と同じとこ(タシケントプラザのズムラッドさん)で

    アドラス半幅帯をオーダーしたわ!という お声をいくつか頂くようになった。

    ウレシイ。

    もっと流行ってください。

    みんなでウズ着物会をしましょう。


    一足お先に、昨夏 反物を日本に持ち帰って 仕立ててきた

    とある奥さまの アドラス浴衣をご紹介。
    アドラス浴衣
    こんなに はんなり落ち着いたアドラスもあるのです。

    カワイイでしょう~。


    反対に、私は 祖母からもらった 大正時代の銘仙をご紹介。
    ウズ風銘仙
    まるでウズベクの布! と ウズベク人が マジの二度見をした。


    ウズ着物の世界は、ハマったら抜けられないの。

    働く車

    ウズベキスタンは、この2年の間に車がとっても増えたし、

    ウズベク人が運転する 外交ナンバーでない

    トヨタのランクルや レクサスも ちょくちょく見かけるようになった。

    でもやっぱりまだまだ 思わず振り返っちゃうような

    クラシックな車が わんさか走っている。


    ソビエト時代の ジグリや ラーダ、モスクビッチは もちろん
    ジグリ

    チェブラーシカに出てくるような レトロなトラックや ワゴンも

    現役で働いていて、いじらしいこと この上ない。

    そういうのにすれ違うと うんと嬉しくなる。

    でも悲しいかな、本当に働く車なので じっとしていない。

    もう住んで2年8か月になるというのに、まだまともに撮れないでいる。


    今日 停車中のところを撮ったのは、レトロではなかったけれど
    冬支度
    やはり東京では見られないであろう働く車。

    秋は 街路樹の 舞い散る葉を集めて、

    冬は ドカ雪が降る前に 枝打ちをする。


    もう街は すっかり裸の木。

    遠くには 雪山がくっきりしてきた。

    1日2日寒くなっては また ぽかぽか陽気に戻る今年は

    暖冬なのかもしれないが、

    冬支度はすすみ もう忘年会シーズンだって始まっている。

    天気とカレンダーの感覚が合わなくて、

    今年は何だか いつも以上にのんびりしちゃう師走。

    カモネギ

    先日の家鴨

    和風 鴨ロースもどきが ことのほか うまくいった。
    鴨ロース
    それは美味しかったので、また鴨を買いに行った。


    アライバザールの2階肉売り場で

    「真鴨」か「野鴨」 が欲しい旨伝えると、

    こないだと別のおばちゃんは これだ、と 家鴨を指さした。

    いや、それは「家の鴨」、飛ばないでしょう?

    飛ぶやつが欲しいんだってば と言ったら、

    これ 飛ぶよ、と答える。

    「家の鴨」は 飛ばないじゃんか、と食い下がると

    これは 「家の真鴨」だから飛ぶの、だという。

    家の真鴨…合鴨のこと?合鴨なのか?

    こないだより一回り小さめで、28,000ソム(1,000円)。


    さばいてみれば、胸筋と太ももの発達具合から鑑み

    やっぱ家鴨じゃねーのか… と思うのだが

    前回の轍は踏まぬよう、皮下脂肪のない皮は はいだので

    今回は固いことなく 素晴らしい カモ鍋もどきが完成した。


    もちろん家鴨のガラでとった出汁

    アライバザールの高麗人の豆腐

    白菜と 欠かせない ネギ

    お肉は 粗めのつみれ、胸肉、もも肉


    頂きものの 菊水の純米酒(カップ酒)をパッカンと開け、

    お出汁に使っちゃう贅沢。

    残りは 熱燗で く~っ と唸る。
    鴨鍋うどん
    シメはもちろん、鴨うどん。


    ウズベクでここまでできたら、もう見事なもんでしょう。

    だって、この日の材料で ここで買えないものなんて

    出汁の素と 七味くらい…?

    それも韓国ショップ行けば 似たようなものはあると思うし。

    高いけど醤油だって買えるし、料理酒は普段ウォッカ使ってるし、

    うどんは ラグメンのテスタで充分だし、

    つまりこれは、ウズベク家庭でも ほぼ再現可能でしょう。


    長いこと、ウズベク人に出せる ウズの食材で作る和食 を考えていたけれど、

    鴨ロースと 鴨鍋うどん、

    いや、少なくとも 鴨ロース

    これはひとつの完成形かな、と思う。


    ちなみに、前見かけた 冷凍の鴨胸肉は

    肉売り場の建物の前辺りに並ぶ プレハブの個人商店の一つに

    冷凍焼けしたヤツが 100ユーロくらいで置いてあったという情報あり。

    100ユーロって…どの道 買えない。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して5年
    経ちますので
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