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    スムバッグの柄

    いままで あんまり興味がなかった 刺し子のスムバッグ。

    母や叔母が 買いあさって帰ったのが不思議だったけれど、

    実際日本で 母世代のおばちゃま達に 圧倒的支持を得た。

    また買ってきて、とまで言われては その魅力を見直さない訳にいかない。


    そういう目で物色しだすと、いままで知らないで済ませてきたことにも

    興味が出てきた。


    私が化粧ポーチにしている ピンクの子(右上)↓は、最もポピュラーな模様。
    スムバッグ さそり
    てっきり、お花模様だと思っていたら なんとこれは サソリであった。

    アミール・ティムールの盾に描かれた文様で、男性の強さのシンボルだという。

    男模様だったのか…


    アーモンドとも唐辛子とも言われる このペーズリーも
    スムバッグ アーモンド
    男性が持つといいモチーフだという。


    そして、このモザイクは アクサロイ(白の宮殿)という名が付いている。
    スムバッグ アクサロイ

    そう、シャフリサーブスの世界遺産の 在りし日の姿をイメージしているのである。
    アクサロイ
    この刺し子はシャフリサーブスの技法だからだ。


    最近見かけるようになった ことり柄。これは文句なくカワイイ。
    スムバッグ ことり
    幼稚園児にも分かってもらえるカワイさだ。


    でもやはり、何と言っても 女子に不動の人気を誇るのは
    スムバッグ ザクロ
    多産と家内安全のシンボル ざくろ。


    柄の意味を知ると、だんだん カワイく見えてきた。

    ペンケースにしたり、電子辞書を入れたり、

    やはり あの汚いお金を入れるには もったいない。


    今の相場は、18,000~22,000ソム(800円)。

    本当にたくさん買わないと、15,000ソム(600円)を切れるか あやしい。

    2年前は8,000ソム(当時250円)で買えたのだから

    相当値上がりしている。

    HUMAN WEAR ハスティイマム(バラクハーンメドレセ)は

    30,000ソム(1,200円)で売っているので 値下げ交渉はかなり難しい。

    買う場所は 選んだほうがいい。


    20,000ソム前後で無理なく手に入れることができるのは

    今のところ私が思うには、

    チョルスーバザールのドームの真下のお土産コーナー、

    そして インタコのアートバザールが 一番品質が良い。

    ここで 買い溜めておくのが ベストな方法だと感じている。


    選ぶコツは、

    ①とにかく目の詰まった細かい刺し子であるもの(目が1mm位のものがベスト)

    ②汚れ、ほつれがないもの(洗っても大丈夫そうかどうかチェック)

    ③ファスナーが大きいもの(小さいものは手に刺さって痛い)

    ④ファスナーの開閉がスムーズなもの(噛んでしまうことが多い)

    ⑤中袋の縫製が つれていないもの(極端に浅いものや ガバガバなことも)

    evoのやつ

    インターネットのプロバイダをevoにしてきたが、

    五月から突然料金プランを3つに絞ってしまった。

    私は20ドル8000メガで丁度良かったのに

    今月から突然、55ドル20000メガ

    56ドル30000メガ、66ドルなんちゃらメガ

    の3プランしかなくなったという。


    …そんなにいらない。

    大体なんなんだ、

    その1ドル違いで10000メガ+っつー料金体系は!

    どんどん安くしてきたくせに

    ここに来て、住友が撤退したとたん

    この仕打ちですか!

    「こんな商売は考えられな~い」ビームをお見舞いしたが

    効果はなし。

    evo事務所には契約解除のウズ人がひきも切らず。

    私も今月でやめてやる。

    CityGrill 2号店 行ってみた

    City Grill2号店は、広かった。

    ゆったりして お客も まだ殆どいないので、

    最近 賑わって騒がしくなってきた本店とVEROに比べ

    ビジネスミーティングにも使えそうな 落ち着きがある。


    禁煙席は 入って左手。
    CityGrill2 禁煙

    エントランスを挟み 喫煙席は入って右手。モクモクしてこないと いいんだけれど。
    CityGrill2.jpg
    禁煙席の裏には↑のようなキッズスペースが。

    この隣にはさらにTVモニター付きの部屋があり、

    お子ちゃまには DVDでも見ながらじっとしてて頂けるシステムのよう。


    メニューは本店と同じだが、ビジネスランチは無し。

    女性だけで来店すれば 30%引きのキャンペーンを実施中(VERO系列すべて)。


    相変わらずステーキは タシケント一だと思わせる。

    しかしコーヒーメーカーが調整中で コーヒーは飲めなかった。

    お会計もちょっと間違っていた。

    まだ色々と 慣れないことが多い様子。

    がんばれ。真にVIPを迎えるに足るサービスを提供できる店になる その日まで。

    アラル海で泳ぐ①

    ウズベキスタン共和国には カラカルパクスタンという 自治共和国が存在する。

    首都は ヌクス。

    言語、憲法、国旗、国歌など 独自のものを持ってはいるが、

    基本的には ウズベキスタン人として ウズベクのパスポートで生活している。

    多民族国家と言うのは 日本人にはなかなか想像しがたいが、

    アイヌをイメージしてみると 少し見えてくるかと思う。

    実際、カラカルパクの伝統刺繍は 驚くほどアイヌのそれに似ている。

    カラカルパクのユルタ


    カラカルパク一帯は、かなり厳しい暮らしをしている。

    最大で 夏 50℃ 冬 -50℃という、100度もの気温差をもち、

    アムダリヤ川に恵まれながらも 慢性的に水不足である。

    おもな産業は 農業で、在ウズ邦人には ヌクス米にお世話になっている人も多い。

    メロンの産地としても知られ、何十とあるメロンの品種の 半数以上がカラカルパク産だ。


    そんなカラカルパク、訪れる目的は

    なんといっても アラル海を見ること である。


    アラル海は ご存知の通り、環境問題になっている 消えゆく湖である。

    ソ連時代の悪策、綿花栽培事業拡大を図る灌漑工事の影響で

    その面積の 実に7割近くを失ってしまったのである。

    現在は、周辺諸国が協力し アラル海保護に向け動いているものの

    カザフ側に比べ ウズベクの取り組みは まだ具体的成果につながっていない。


    干上がってしまった かつての湖底、

    忘れられたような かつての漁師町、

    砂漠の上に放置された 船の墓場…

    さびしいイメージばかりが付きまとうが、

    そのアラル海で泳ごう、と言ったら どうか。

    泳げるんだ!

    俄然 行く気になった。

    こどもの日

    5月5日は ウズベキスタンでも 子供の日。

    各地で子供向けのイベントが相次いだ模様だが、

    我がマハラで 一番のお金持ち宅では

    去年の結婚式で お出来になったお子さんが お生まれあそばしたらしく

    久々に盛大なベビーベッドの納品をやっていた。

    こどもの日のご近所

    マハラの道路を完全封鎖しての、荷物の搬入。

    出るわ出るわ、ベッドからゆりかご、タンス、スンドュク、クルパチャ、洗濯機…

    もちろんその間、カルナイ(ウズ風 巨大チャルメラ=音色はブブゼラ)が鳴り渡っている。

    通行止めしてまで 路上で仕上げたベビーベッドの飾り付け。
    こどもの日のベビーベッド
    ベビーは男の子のようだ。

    お嫁さんも ひと安心だね。


    ウズでは、未だ 男の子を産むことは嫁の大切な役目とされている。

    それに、この家の結婚式は去年の夏だったから、

    嫁いで来てすぐに子宝に恵まれたことになる。

    これは かなり期待に応えた ウズベク理想の嫁と言えよう。


    ウズベクは旦那の実家に 2世帯3世帯で住むのが当たり前だ。

    しかも初夜が明ければ

    純潔を守ってきた証(シーツに血がついているかどうか)

    を公開しなくてはならない。

    今の女子大生は、これが本当に嫌で仕方ないそうだ。

    21世紀に、全く大変なことだと思う。

    がんばれ、ヨメ。負けるな、ヨメ。実権を握るその日まで。

    タシケントのサッカー

    ようやく ブニョドコール新スタジアムで サッカーを観た。

    bnyodkor.jpg

    ピッチと とても近いので どこからでも割と 見やすい。

    ナイターでもばっちり明るいし、
    ブニョドコールスタジアム

    モニターでゴールの瞬間なども確認できるようになった。


    とってもきれいなスタジアムは、美化のためだろうけれど

    ひまわりの種 もちこみ禁止だ。

    代わりに、他のスタジアムより売店が充実していて
    bnyodkorのチップス
    こんな細長い 面白チップスを売っていたりする。

    ガーリックチーズ味、ワサビ味、パプリカ味の3種。

    3500ソム(150円)、リトアニア産。

    プリングルスを極薄にした感じで、結構ハマる。


    チケットは、10,000ソム(400円)もとる。

    これまで、パフタコールスタジアムなどは無料の試合も多かったので

    高く感じる。建設費、稼がないといけないものね。

    ウズに来た当初は カワイイと思っていた パフタコールスタジアムは
    パフタコール スタジアム
    もうかなり カワイそうな感じに見えてきた。


    今回の試合は、

    ウズベクリーグNo.1の ブニョドコール VS 柴村選手のいる ブハラFC。

    前半にゴールを決められまくり↓
    bunyodVSBuxopo.jpg

    後半の ディフェンスと
    bnyodVSBuxopo2.jpg

    キーパーの執念 実らず、
    bunyodVSBuxopo3.jpg
    4:0で ブハラが完敗。

    地元ブニョドコールの勝利に ちびっこたちは ご満悦。
    bunyodのヒーロー
    将来の メッシや ロナウドに なるのかな。

    ブニョドコールのサポーターリーダーは、日本びいきの ナイスガイ↓。
    bnyodkorのサポーター

    何で生計を立てているのか気になる程、どの試合でも応援の指揮をとっている。

    日本への遠征試合には もちろん付いていく。

    日本では、日本のサポーター達に とても良くしてもらったから、と言って

    いつも私達 応援席の邦人に あいさつに来て、困っていないかと気遣ってくれるし

    試合中でも シバムラコールや ニッポンコールをいれてくれたり

    国際試合の時には 日本チームサポーターに エールを贈ってくれたりする、

    まさに 敵ながら あっぱれな人なのだ。


    先日の サンフレッチェ広島戦でも エールを贈ってくれ、
    ブニョドコール対サンフレッチェ広島
    サンフレッチェサポーターからも エールを返し、清々しい 引き分け試合となった。


    去年のACL ガンバ大阪戦の時は、自分達のチームを応援することにだけ熱心で

    ガラの悪い言葉で ウズチームに悪態つくサポーターの姿に、

    在留邦人としては ガッカリしたし、非常に恥ずかしかった。

    日本チーム席には、日本系企業で働いていたり、日本語を学んでいたりして、

    日本チームを応援してくれている ウズベク人もたくさん座っているのに。

    とても悲しくなった。

    スポーツは 観てる側も やっぱり気持ちよくありたいっす。

    アラル海で泳ぐ②

    アラル海で泳ぐためには、

    まず ヌクスへ たどりつかねばならない。


    陸路をとると恐ろしく遠く、丸1日がかりの移動となる。

    タシケント-ヌクス便は 夕方なので、

    みんな 代休をとったり半休をとったりして

    真新しい国内線の空港に集合した。


    国内線の高度とは思えないような、赤土の 砂漠と言うより 土漠 が続く景色。
    飛行機の眺め
    まちがいなく西に、キジルクム砂漠(赤い砂)を越えて

    トルクメニスタン側に、 近付いている。


    ヌクスに着いたのは、まだ日暮れ前だったが

    空港からほど近いホテルに荷物を置き、夕食をとりに出る頃には

    もうとっぷりと暮れ、全く夜目が効かない状態だった。

    よほどの外れにいるのかと思いきや、ここが最も賑やかな通りだという。

    真っ暗闇なのに。

    ヌクスは 街灯が 殆どなかった。

    ビールと クッシなどの簡単な夕食を済ませ、

    ケイタイの灯りで どうにかこうにか歩いてホテルまで戻った。


    ホテルは、地球の歩き方の ヌクスのページには 一番に載っている

    ジペック・ジョリに予約を入れたが

    当時できたてホヤホヤの 新館に泊まることになった。
    ジペックジョリ新館

    Wi-fi Freeで、朝食も パンやブリヌィ、おかゆ、玉子の焼き方など選べ

    細かい希望にこたえる 素晴らしいサービスだったが、

    シャワーのお湯は、色がついていて、水だった。

    ヌクスだもの、仕方ない。死にはしないので、ありがたくシャワーをする。
    ジペックジョリ
    ↑本館には ステキな中庭カフェがある。Wi-fiはない。


    翌朝、ホテルの前では 手配しておいたガイドと

    ドライバー二人、調理補助のおばちゃん一人が

    年代物のジープ2台と共に 待っていた。
    ヌクス ジープ

    すでに、水や食料、テントなどが 積み込まれている。

    最終的に必要なものを 調達するため、中央バザールに寄って
    ヌクス中央バザール
    朝9:30、いよいよ ヌクスを出発。

    どこまでも延びる真っすぐな道を走ると
    ヌクスを出発

    やがて右手に アムダリヤ川が見えた。
    アムダリヤ
    ヌクスの外れだ。

    突然 道が悪くなった。

    アラル海で泳ぐ③ ギャウルカラ

    初めに車が止まったのは、

    ミズダクハーンと呼ばれる 霊園だった。

    主に11~14世紀ごろの霊廟が残っている。

    ミズダクハン

    この辺りの人たちからは ナズリムハーンの呼び名の方がポピュラーだという。

    それはそれは美しかったという ハーンのお妃・ナズリムハーンの墓があるからだ。

    その昔は キャラバンサライだったという建物を利用している。
    ミズダクハンのキャラバンサライ

    空色のタイルと 木を組み合わせた 特徴的な装飾。他では見ることがない。
    ミズダクハンのキャラバンサライ2
    ミズダクハンの積み石


    ここは もともとギャウルカラ↓ という4世紀の城跡が望める高台で、
    ギャウルカラ
    このギャウルカラの向こうは もうトルクメニスタンだ。

    古くから栄えた土地なので、イスラム教だけでなく

    その前には キリスト教や 仏教も影響しているという。

    メドレセの壁には、十字のくりぬき窓があり
    ミズダクハン メドレセの十字架

    廟内の壁にも 蓮の花をモチーフにしたレリーフがあったりする。

    また、かつてはこの辺りも海であったことを示すように

    ミズダクハン メドレセとサメの歯
    サメの歯や 貝殻の痕なども確認することができた。


    この霊園は現役なので、観光客の方が少ない。
    ミズダクハンの人

    天国へ昇るための7段はしごが あちこちのお墓に供えられている。
    ミズダクハンのはしご

    また、ここでは バルバル(石人)も たくさん見ることができる。
    ミズダクハンのバルバル
    イスラム前の慣習が 受け継がれているのだった。

    霊園を出る前に、入園料を払い、
    ミズダクハンのチケット売り

    霊園の真向かいのチャイハナで トイレを借りて
    トイレを借りた家の子

    さ、今度こそ アラル海に向けて出発。

    おかしいな、全然 着かない…

    アラル海で泳ぐ④ サクサウールとガイド

    年代物のジープ2台には、リヤガラスの向こうが見えないほど

    ぎっちり荷物が 積まれている。

    もちろん道々ガソリンスタンドなんてないので、ガソリンも 積んでいる。

    当然、燃費のため、冷房は付けずに走る。

    ジープの窓は こんだけしか開かないので
    ジープの窓
    風圧で閉まってしまうと、ちょっと ぼーっとなる。

    閉まらないように、空きペットボトルを 挟むことにした。


    景色が 砂漠にかわり、

    テーブルマウンテンと呼ばれる ウスチュール台地が見えてきた。
    テーブルマウンテン
    500万年前の地層がみられるという。

    中高生の頃にこんな地形を実際に見ていたら

    もっと地理 地学の勉強に身が入ったろうと つくづく思う。


    ジープは、このテーブルマウンテンに駆け登り、道なき道をひた走る。

    眼下には、いくつもの筋が等間隔で並んでいるのが見えた。
    サクサウール 灌漑中

    これは サクサウールやタマリスクなど 砂漠に向いているグリーンの
    サクサウール2 タマリス
    植樹と保護を計画的に行っているところなのだと ガイドは熱く語ってくれた。


    ここで、今回の 素晴らしい ガイドを紹介しよう。
    サクサウール
    オクチャーブリ、英語でいうところの オクトーバーさんだ。

    10月革命から とったという。

    彼は、元サヴィツキー博物館のキュレーターで

    英語も堪能。

    せっかくのグリーンカードを放棄して

    ヌクスで アラル海のための活動をすることを選んだ考古学者である。

    活動資金を稼ぐために ガイドをしながら、

    アラル海問題を社会的に広く知ってもらう取り組みをしている。

    彼が出演しているドイツのアラル海リポート番組はコチラ

    この年も、お正月早々からアラル海岸まで清掃活動に出かけたそうだ。

    暑い日も寒い日も、月に数度 アラル海までのこの長い行程を 行き来している。

    道がない土漠の地理が、彼の頭には 完璧にインプットされている。

    こんな人にガイドしてもらえるのは 幸運なことだ。

    アラル海の旅には ぜひ彼をすすめたい。


    彼の話をメモに取ろうと、スマホをひっぱり出すと

    こんな だだっ広い所なのに、携帯の電波が バリ5 で入る。
    電波バリ5

    時計を見れば もう12時半を回っている。

    さて、そろそろお腹が空いてきた。

    よし、次の休憩地点でランチにしよう。

    オクチャーブリは言った。 

     Oktyabr Despanov
     +998613511365
     oktyabrd@gmail.com

    アラル海で泳ぐ⑤砂漠でランチ

    次の休憩地点まで、かるく1時間は走った。

    せり出した高台に 崩れかけた塔が建っていて

    眼下には 大小の湖と 遠くに川の流れが見える。

    あそこが、アムダリヤ川の終わりなんだ。

    オクチャーブリが言った。
    シグナルタワー アムダリヤのしっぽ
    昔はアラル海に注いでいたはずが、ぷっつりと水が絶えている。

    へぇ、アムダリヤのしっぽ、か。


    湖の方は、満々と水をたたえていた。

    でもこれもどうやらロプ・ノールのような移動湖らしかった。

    砂漠のオアシス とはまさにこのこと、と思うような眺めだ。
    シグナルタワー フラミンゴ湖
    なんとここには、アフリカからピンクフラミンゴが飛来するという。

    一瞬 耳を疑ったが、確かに

    ウズベクにはピンクフラミンゴが来る湖がある と聞いたことがあった。


    さぁ、ランチだ!

    今朝早起きして女房と作ったんだよ、とオクチャーブリが笑いながら

    巨大なタッパーを開けた。

    そこには、人数分よりも多めの ホットドッグが ぎっしり詰まっていた。
    シンボルタワーでランチ
    すっかり温くなってしまったビールを片手に、

    11世紀からある シグナルタワーと呼ばれる塔を見つめながら

    ホットドッグにかぶりつく。

    むぅぅぅぅ、最高じゃないか!


    ここまで、ヌクスから およそ4時間半。

    ラクダのキャラバンだったら何日かかっていたことだろう。

    そしてこの塔を目印に 水場は近いぞ!とお互いを鼓舞しながら 頑張ったことだろう。

    キャラバンたちも、ここで飲んだ水は チョー美味しかったに違いない。


    この辺りは、昔の水場、漁場。

    シグナルタワーは いわば燈台の役目。

    当然、すぐそこは湖底だったわけなので
    シンボルタワーの藤壺
    こんな砂漠のど真ん中にも フジツボのような貝の痕がゴロゴロしている。


    さぁ、まだまだ道のりは遠いぞ。

    オクチャーブリに促され、私達は またジープに乗り込んだ。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して5年
    経ちますので
    情報はどんどん
    劣化していきます。
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