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    2年目が来た

    3/11がくると、日本のテレビは 大震災の記憶 一辺倒。

    でもこれは、特集でやるものじゃない。

    毎日追いかけるべき 毎日考えるべきなのよね。


    いまも、東北では ジャージやリュックなどの日常着作業着、防寒着に ものすごく需要があって、

    東北支援用に 古着の寄付を受け付けている。

    しかし、タダで配ることは出来ないということで、

    民間の古着屋さんが 超激安フリマを開催して さばいているらしい。

    母の箪笥の肥やしだったものや買い置き品を あれこれ詰めて送ってはみたが

    2年経っても、5年経っても、10年経ったって 支援の手は欲しいだろうになぁと考えてしまった。


    1年前、日本は世界に向けて 大々的に復興アピールをしたけれど

    実情は首をかしげざるを得ない。

    頑張ろうニッポン、じゃないよ。もうみんな頑張りすぎて疲れちゃったんだよ。

    がんばれよ国政。

    アミール・ティムール博物館

    ブロードウェイの先、法科大学の裏手、

    フォーラムの真ん前、時計台の横、ウズベキスタンホテルの向かい、

    つまりタシケントのど真ん中 に

    大きな クルック(ロータリー)があって、中が公園になっている。

    その中央に 馬上のアミール・ティムールが はるか彼方を指している像がある。

    その指さしている方向に建つ、ドーム風の建物が

    アミール・ティムール博物館。

    1000ソム札にも描かれている、美しいシルエットだ。
    ソム一覧
                            ↑コレ

    中は、まず吹き抜けの大天井とシャンデリアに目がいく。

    おそらく、ティムールの墓である サマルカンドのグリ・アミール廟の天井に

    似せているのではないか、と 私は思っているが どうだろうか。
    ティムール博物館

    展示は、ティムールの功績とその子孫たちについて、と

    サマルカンドのレギスタン広場の模型や

    世界最古のコーランのレプリカなど

    展示物のほぼ全てが複製品ではあるが、

    ウズベキスタンの歴史や美術が ダイジェストで見られるようになっている。


    タシケント以外の都市を巡る予定のない人、

    タシケントでも他の博物館をじっくり周る時間がない人に

    手っ取り早く ウズベクを紹介するなら、 ここがわかりやすい。

    いうなれば、「忙しい人のための 5分で分かる ウズベク」だ。


    チケット売り場入り口すぐに売店もあるので、お土産も物色できる。

    ウズベク土産 グリーティングカード

    ウズベクの伝統絣 アドラスや ハーンアトラスを はさんだ

    切絵のカードが売られている。

    ベタな Tashkent と切り抜かれたものや

    小鳥が二羽向かい合っていたり チャイニク(急須)模様だったり
    カード
    アーモンド模様などもあり、好きな模様と

    布の色柄と 紙の色の組み合わせ 次第で カワイイものも見つかる。


    このまま人にあげたり、誕生日に贈ったりしても良いが、

    こんなオプションをつけることもできる。
    カードのオプション

    メドレセ跡の アブドゥル・ハシムや ミニサマルカンドのバラク・ハーンなどの

    ミニアチュール(細密画)工房で売られている場合、

    カード購入者には 職人が ペルシャ花文字で

    名前や 好きな言葉をデザインして描いてくれるのだ。


    名前の音をそのままペルシャ語表記してもらうも良し、

    名前の意味をペルシャ語にしてもらうも良し、

    メドレセで買うには ナイスな お土産だと思う。

    *有料オプション。


    ちなみに最近 日本人在住者の中では

    ケータイやパソコンに ミニアチュールを描いてもらうのが

    秘かなブーム。

    興味のある人は 日本から クリアなスマホカバーなど持ってくると 良いかもしれない。

    郵便局

    去年のクリスマス、せっかくイギリスからカードを送ってくれた友人に

    そのカードが逆戻りしたらしい。

    その頃 私は日本だったから、何度来ても不在であったのだろうけれど

    ドアの隙間から差し入れるとかしてくれたら良いのに、返しちゃうなんて・・・


    まったく ウズベキスタンの郵便は 謎が多い。


    日本からタシケントへの荷物は1ヶ月、

    タシケントから日本への荷物は1~2週間でとどくのが 一般的だ。

    しかし数日で届くこともあれば、待てど暮らせど届かないこともある。

    運よく届いても、航空便のため気圧の関係で 中身が無事とは限らない。

    先日 やっと母から小包が届きました~、と言う女子の荷物は

    サバ缶が爆発して 楽しみにしていた 1Q84 が 魚くさく茶色に染まっていたと言う。


    本は3巻以上続きでは送れない(1巻 2巻 4巻・・・と言う風にしなければならない)とか

    鉄、木製品は送れない、とか

    この荷物はこの局からは送れない、とか

    ナゼ?ナゼ?が いっぱいのルールがあるのだ。

    しかも地方の郵便局から送ると、荷物を布袋で縫い閉じなくてはならないので

    とてつもなく面倒だ。

    地方在住の日本人は、タシケントに上京するついでに荷物を送る、と言う人も少なくない。


    そんなわけで、私が郵便局を利用するのは 専ら絵葉書を送るとき。

    それでも窓口に群がってくるウズ人を、

    ちょっと!あたしが先に並んでたんだから あんたは後よ、じゅ・ん・ば・ん!

    と言って整列させるのはものすごいストレスだ。

    しかもなぜか毎回 切手代が ちょっとずつ違う。


    そんなタシケントの中央郵便局 ポーチタ の内部はこんな感じ。
    ポーチタ

    うす暗~くて、まん真ん中に ペンギンと思しきオブジェと噴水(水は枯渇)が

    鎮座ましましている。

    ザ・ソ連 が ここでは まだ生きている感じ。


    ちなみのこの画像右奥は 切手売り場になっていて

    古い切手が売られている。

    コレクショナーなら 宝の山なのかもしれない。


    いま、このポーチタの隣は ケータイ会社 U-cell のオフィスがあって

    U-cellカフェ が 併設されている。

    ポーチタでの戦闘に疲れたら、ここで一休みが良いかもしれない。

    そして足取り軽く、ポーチタ裏手の アライバザールで

    焼き立てナンを食べるべし。

    本屋市

    タシケントでは 日本ほど多くは本屋を見かけない。

    本屋は 大学のある通りに行けば 見つかると思うが、

    大きめの書店が集中するのは ツム周辺だ。


    モスクワの有名な書店 クニージュヌィミール=本の世界 のパクリなのか

    Книги мир クニーギ・ミール=本世界 というのが

    ツムの裏手にあって見やすい。

    もう1店 ツムとはナボイ劇場をはさんで反対側にも、見やすい書店がある。


    しかし、ツム脇の公園には

    ずらぁりと 本の露店が並び 冷やかしながら歩くのも楽しい。
    本屋街

    新しい本を売っている店も 古書店も 文具店もある。

    4月5月9月の陽気のいいときは ソフトクリーム片手に

    この公園の緑の中を歩くのが 好き。

    もうすぐ、枯れ木に 緑の新芽がつき あっという間に 緑ふさふさになる。

    待ち遠しい タシケントの春。

    バベルの塔

    チョルスーバザールと ザルカイナル(チョルスーガレリア)の間に

    バベルの塔 と 私が勝手に呼んでいる建物がある。

    チョルスー バベル (188x250)

    確か 青年ナントカ会館 みたいなのが正式名称で、

    中は 大統領と子供達が触れ合っている写真が飾られていたり、

    カリモフ大統領の青少年事業プロパガンダギャラリーになっている。


    でも、ここは中に入るべき建物ではない。

    この螺旋を上って、頂上から景色を眺めるところ。

    いつも 楽しそうに写真を撮るウズの若者で あふれている。


    タシケントには、あまり高い建物がない。

    タシケントタワー(TV塔)は 結構お高いので

    早々気軽には登れないし、

    タシケントの旧市街に近い この場所からの眺めは 貴重だと思う。


    ここで見る夕景はなかなか素敵。

    チョルスーショッピングに疲れたら、飲み物を持って ここで一休みは いかが。

    *入場は有料。係員の気分次第では タダで入れてもらえる。

    テレビ塔の夜景

    スカイツリーと上海真珠塔を足して2で割ったような見た目の

    タシケントタワー(TV塔)。
    テレビ塔 (350x263)

    以前紹介したときから 入場料はうなぎのぼり。

    最近は行っていないのでわからないが、

    おそらく5000ソム(=180円)を超えていると思う。

    地球の歩き方の情報は 相当古いので無視して結構、

    デジカメやケータイの持ち込みは 問題ないので、

    貴重品等も入れられる小さなバッグを持っていくこと。


    ここはパスポートコントロールがあるので、

    入場に結構時間がかかる。時間には余裕を持って。


    まずパスポートを提示してチケットを買い、

    大きなかばんはロッカーに預け、

    塔内の人数制限のため しばし待たされる。

    入れれば、身体検査と荷物検査を経て

    ようやくエレベーターに乗ることが許される。

    そうして初めに出会うのが エレベータ手前で グリコポーズで立っているこの人。
    TV塔のグリコ
    ソ連時代の宇宙飛行士らしいが、職員の誰に聞いても これが誰かは 知らない。

    おそらくタシケント出身の 宇宙飛行歴 5回という英雄

    Владимир Александрович Джанибековウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・ジャニベコフ

    ではないかと想像できる。


    このウラジーミル氏の右手に もうひとつКАССА(チケット売り場)がある。

    ここで買えるのは、展望レストランお食事券。

    お茶セットいくら、とか 食事コースいくら、というチケットを買う他、

    アラカルトで食べたい場合は、そう言えば レストランまで上がることができる。


    この展望レストランは、回転レストラン。
    TV塔のレストラン

    回転床のレールが見えるだろうか。

    有楽町交通会館の展望レストランをイメージしてもらえればいい。

    結構なスピードで回るが あそこよりは酔わない。


    こんな夜景を見ながら
    TV塔の夜景
    ビールと ニシンのオイル付けなんかをつまむと 結構いい気分。

    動画はコチラ。ウズベキスタン タシケントタワーのレストラン

    タシケントの名所 ~アクテパ遺跡篇

    TV塔からも程近い ユヌスアバッドに 遺跡がある。

    アクテパと(オクテパとも)言う。

    この テパ とか テペ というのは トルクメニスタンやカザフスタンでも良く耳にする。

    ペルシャ語由来の 丘 を意味する言葉だ。

    つまりこの遺跡は 白い丘 というわけ。


    入場料は無し。
    オクテパ1

    以前紹介した ミン・ウリッ のような

    千年単位の昔の 住居跡と見られる。

    最近では学校の授業で見学に来るそうで、若者には有名だが、

    地元でもジジババは知らなかったりする。

    歴史的遺構を見学、というよりは、

    デートやバーベキュー、ピクニック、凧揚げなど
    オクテパ2
    市民のレクリエーションの場のひとつのようだ。


    メガプラネットのある通りをしばらく北上

    ユヌスオタ通りを右折、バス通りに入る。

    そのまま道なりにバス営業所みたいなところまで来ると 入り口の門が見える。

    Tashkent Aktepa Yunusobad で GoogleMAPを見れば 載っている。

    日本映画をタシケントで観る

    日本映画祭 最終日をかざったのは

    ゲゲゲの女房。
    ゲゲゲの女房 [DVD]

    これは、朝ドラの印象が良すぎて 期待外れだった。

    それでも、日本人ならば退屈ということはない、凝った手法で淡々と描く映画だ。


    しかしながら、ウズベク人には これは つらかったようだ。

    姿勢を変える気配があちこちでモゾモゾ、

    意味が分からず 隣人と話し合う人 続出、

    爆睡する人、席を立つ人、最後はどうなりますかと 私に聞く人。


    なにしろ、川が映れば 必ず 小豆洗い が 小豆を研いでいるし、

    家の中を ぬらりひょん が すっと横切ったり 居間で勝手に酒を飲んでいたりする。

    登場人物の だれにも見えていないという設定で、

    話の筋に関係なく 妖怪があちこちに映り込んでいるので

    ウズベク人には 彼らが何なのか 全く分からないのだった。

    それでも、小豆洗いが あまりにも頻繁に登場するため

    隣に座った学生が「あの人は何をしてるんですか」と聞いてきた。

    「豆を洗ってます」と答えたが、当然 それが何?ということになるので

    「人間じゃないのです」と付け加えておいた。

    すると、しばらくして、あぁそういうことか、と ウンウンうなずいていた。


    貸本や 質屋、団地という昭和30年代の価値観に加え、

    水木しげるの漫画、戦争体験、妖怪、と言った

    水木ワールドを 少なからず知っている人でないと

    理解が難しい演出であったろう。


    映画が始まる前、日本人はどんな映画が好きなのか、と 私に話しかけてきた男の子は、

    日本映画と言えば 黒澤明・北野武・キム ギドクだと言った。

    キム ギドクは韓国人だと教えてやったが、

    どうもこの国では、韓国と日本の区別は 相当むつかしいらしい。

    そして、これらの監督作品のDVDを持っていないかと聞いてきた。

    なぜ 私が ロシア語版の日本映画を持っているだろうか。

    当然持っていない。

    すると、次に韓国に帰るのはいつだ、と聞かれた。

    韓国じゃなくて日本だし、それ聞いてどうするんだい、お前さん。

    まさか初対面の 映画館で前と後ろに座りあっただけの関係で

    俺のためにDVD買ってきて とか言うんじゃないだろうね。

    私は日本に帰ったばかりなんだから、もう当分 里帰りなんてしないのよ、まったく。

    だいたい日本じゃ、ロシア語版の日本映画なんて売ってないのよ、まったく。

    そういうのは ウズベクでこそ 安い海賊版が売られてるんじゃないの~。


    この、一瞬でも袖すりあったら 縁はフル活用してやるぞ、という根性。

    久々に ウズベク人らしさに触れた瞬間だった。

    片づけない人たち

    今の家に住んで1年半も過ぎたというのに、

    入居時にリクエストしたことも含め 随時増えていく修理個所が 溜まる一方。

    グリーシャのこともあったから 秋までは我慢してたけど

    さすがにそろそろガツンと言わねばなるまい、という心境になったこの冬。

    日本に帰っている間に、修理が終わってなかったら

    引っ越しちゃうかんね、と大家に 宣言しておいた。


    帰って来てみれば、大家も だいぶ頑張った様で

    わりと重要なリクエストは 叶えられていた。

    しかし、全てではなかった。

    これから全部やる、ちゃんとやるから、ねっねっ、頑張ったでしょ? というので

    まぁ春からも いてあげようかなと思ったが、

    あら、包丁がない。


    ・・・あたしの包丁知らない?


    すると大家は、

    包丁…あぁ、そういえば職人が ペットボトル切ってバケツ代わりにするってんで

    ナイフ探してたから テキトーにそこらにあったの貸したんだけど、無い?

    という。


    貴様、勝手にあたしのものを 職人ごとき一期一会の人間に よくも貸しやがったな!

    と言えるロシア語能力のない 憐れな私は、

    お気に入りの包丁で あれがないと毎日とっても困るの。

    しかも、思わぬところに置いてあったりしたら 怪我するかもしれなくて怖いでしょ。

    と かわいく訴えた。


    分かったわかった、必ず見つけるから。

    そう言って まずは 職人に電話をした大家。

    職人は、ナイフ?! そんなもの盗るわけないじゃん、要らないよ~、と言っている。

    そりゃそうだろう。

    第一 大家の車で一緒にウチにやってきてるんだから

    盗みなど働けるわけがないのだ。

    ウチのどこかにあることは間違いない。

    どこに置いたのか聞いてくれ、と言ってみたが

    返したよ、の一点張りだった。


    キッチンのどこを探しても見つからず、

    とてつもなく気持ち悪いモヤモヤを抱えたまま

    何日か経ったある日、

    大家がやってきた。


    バルコニーの作業をした時に包丁を使ったから、そこにあるかも、と

    職人が思い出したのだという。

    真っ暗なバルコニーに ライトを持ってあがると、

    椅子の上に輝く物体発見。

    あった~!!!と私達は大喜びした。


    それにしても、机の上ならまだしも椅子の上!

    うっかり座っていたら お尻が大変なことになっていたかもしれない。

    私の包丁は それは良く切れるのだ。

    指肉を削いだ話参照)


    この国の職人は、不思議なことに自分の道具というものを 殆ど持って来ない。

    ペンキ塗りなら、

    日本では、バケツ 脚立 刷毛 ローラー ビニールシート 雑巾 ペンキ

    は間違いなく持ってくるだろう。

    ウズベクでは、刷毛一本で来る。

    で、バケツある?とか聞かれるわけである。

    日本なら、周りを汚さないように養生して

    自分達がいた形跡を残さず 後片付けして帰るのが普通だが、

    ウズベクは、自分の修理すべきところが終われば すぐに帰る。

    散らかしっぱなし、汚しっぱなし、ゴミをまとめることすらしない。

    こちらが ちょ、ちょっと待って、と新聞紙を床にしかなかったら

    そのまま平気でペンキを塗ろうとする。

    床にペンキが垂れるとか飛び散るということを考えないのか、

    床のことは自分には関係ないね、ということなのか。


    庭木を切ってもらっても、草むしりを頼んでも、

    トイレの修理に、洗濯機、食洗機、電話機、門扉、天井、

    あらゆる修理は やりっぱなし。

    あとはよろしく、と 出たゴミがど~んとそのまま置いてあるのだ。

    ウズベクに来た最初の年は、まったくものすごいカルチャーショックだった。

    掃除夫 という職業があるのだから、そいつを雇え、

    掃除・後片付けは 俺の仕事 じゃない、んだろう。

    でもそれは 私の仕事 でもない。


    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して5年
    経ちますので
    情報はどんどん
    劣化していきます。
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