寒いばかりですることもない日曜日。
車を持っている友人と、当てどもないドライブに出かけた。
どっち方面行く? 景色いいとこが良いねぇ。チムガン(山)は道も凍ってるよねぇ。
と相談の末、テレビ塔の先には何があるのか 見に行く旅、に決まった。
テレビ塔は アミールティムール通りの北にあり、
タシケント市街地図では かなり上端ギリギリに載っている。
その先には、ユヌスアバッドバザールや メガプラネットがあるので
そこまでは行ったことがあるが、
それ以上 北は 未開拓エリアなのだった。
道なりに暫く行くと、すぐに 景色が変わり始めた。
古い平屋がならび、畑も目立つ。
店、と言えるものが どんどん見えなくなっていく。
と突然、なかなか立派なモスクに出くわした。

さらに走って、結局 テレビ塔から30~40分も 来ただろうか。
さびしいばかりの道が、なんだか 集落に入ったような感じだ。
露店も随分と続くし、ひとの気配がある。
よし、ここいらでランチにしよう、と車を降りた。
タンドールから、焼きたての 立ち食い サモサ を頂く。

おいしくてお代わりする。
食べながら 周りを見渡すと、何だか一定方向に 人が歩いているのに気がついた。
周りは やたらと 車や ダマスが 停まっているし、
良く見れば 道の向こうは お巡りさんがいて ん?車両通行止め?!
なんか、かすかにモスクみたいなのが見えるし、巡礼地なのかな?
とか思って サモサ屋のおばちゃんに、あっちは何なの? と聞いてみた。
そしたら、よく聞き取れなかったけど
書類は持ってるのか? 持ってるなら、行けるよ、といわれた。
…書類って、なんじゃらほい???
こういう時は、どこの国でも お巡りさんに聞くのが一番だ。
車止め を またいで、お巡りさんに近付いた。
近付きながら、気も付いた。
あ、ここは、もしかして、国境か?
さっき おばちゃんが言ってたのは ビザのことか?
お巡りさんに聞いた。
「ここは…、(国境という単語が出てこない)ウズの終わり?」
ちょっと、通じなかった。
「…あっち側は、…

カザフスタン?」
「そうだよ~」(通じた!)
「へ~!見るだけなんだけど、どこまで行っていいの?」
「別に~ギリギリまで行っていいよ。」
「おお!国の境だ~!」
島国育ちは、歩いて国境を越えるなんてことに、ロマンを感じずにいられない。
この↓ 緑の屋根のとこが 国境コントロール

国境までは、300mくらいだろうか。
みな荷物を担いで 歩かされる。
歩いているのは 行商人風もあれば、
裕福そうな 小さい子供連れの一家もいたり、
そして彼らに 物乞いをする 子供もまとわりつくし、
魔除けの 数珠ブレスの様な物売りも ずっとついて来る。
そして、国境の大きな鉄門扉まで来ると
ライフルを抱えた兵士が立っており、
国境を超えたい人々は 道の右側に寄って 列を作る。
左側の扉からは カザフからウズに入国する人が
粛々と歩いて来る。
おそらく 一定時間すると、左が閉じられ、右の出国ゲートが開く仕組みなのだろう。
数百メートルある コントロールエリアの向こう側には
カザフスタンにようこそ、というロシア語幕が読めた。
ほ~ん、ほ~ん、こうなってるんだね~、国境。
と言いつつも、寒くて寒くて 飛び跳ねている ガイジン 二人。
出国の列に並ぶでもなし、ジロジロ 国境 見てるだけなんて
怪しすぎる。
カザフからの入国者に交ざって、引き上げることにした。
そうして、先ほどのタンドールのところまで来ると、
タクシー要らないか、とか
クイリクまでだよ、チョルスーまでだよ、とマルシュの引き合いが
寄ってくる。
そうか、停車中の車は皆、タクシーや マルシュルートカだったんだ。
おそらくここは、タシケントに一番近い ウズの国境だろうと思うけど
国境の町というのは、何だか うら寂しいものだよね。
ここを、いつか越えてやるぞ。
越えた向こうはカザフスタンの古都、シムケント(チムケント)だ。
タシケントの タシは石、=石の街。
シムケントの シムは芝、=芝の街 だそう。
グリーシャの故郷だ。
ソ連時代は、バスに乗って1時間、
寝て、起きたら もうシムケントだったのにねぇ、
今じゃ、いちいちバス降りて、並んで、バスのって…
超面倒くさいんだよ~、と文句言ってたなぁ。
かなり前 グリーシャに、シムケントの意味を聞いた時は、
茶碗か、或いは 磁器の粘土の街、と理解したのだけど、
私、よほどロシア語できてなかったんだねぇ。
彼は、今、だいぶ歩けるようになって、春には仕事再開という話だ。