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    タシケントプラザ なくなる

    タシケントプラザで 私のオーダーを あまた手掛けてくれた縫子さん。

    昨年 彼女と なんと日本で再会した。

    日本への技能研修生に選ばれたのだという。

    驚いた。

    だって お子さんだっているのに、家族を置いてだもの。

    すごい決断。

    でも、来てみたかったんだって。

    わかるわ。


    それで聞いたところによると、

    彼女が来日してすぐ位に

    タシケントプラザは、一階にあったすべての土産物屋や工房が立ち退かされ

    ビジネスプラザに なってしまったとのこと。

    スザニの先生は、銀細工のお兄ちゃんは、人形屋のおばちゃんは、

    食堂のおばちゃんは、みんなどこに行ったのか。

    彼女にもわからないみたい。


    先日 BSの Asia Insight で、

    タシケントの Bibi Honim というアドラス ファッションブランドを

    世界的人気のWebショップに押し上げたという

    元アメリカ大使館勤務の ウズベク女性デザイナーが特集されていた。

    ずいぶん街も変わり、世界相手の仕事の仕方も変わったと感じたけれど、

    女性の社会進出はまだまだ封建的なところから抜け切れていないのだという。


    そういう意味では、タシケントプラザで 一国一城の主だったお姉さんやおばちゃんたちは

    誇りをもってやっていたろうし、

    その作品を 世界の一流ビジネスマンが集うあのエリアで

    見せられなくなったのは 残念でならない。

    結局今成功している そのデザイナーは、英語ペラペラの元キャリアウーマン。

    結局、そういうことなのね。

    かごバッグをウズ化

    帰国の際には アドラスの反物と ウズベクテープ(ジヤック)を たくさん買ってきた。

    子供が女の子だったら、ウズい服や 浴衣や 小物をたくさん作ろうと

    あれやこれや妄想していたけれど

    男の子と判ってからは それも急にしぼんでしまい、

    何に使うか…と思っているうち 帰国して早三年。


    タイで 600円で買った かごバッグが ボロボロになってきたので

    リメイクに使うことにした。
    カゴバッグウズ化

    アドラスで 中蓋もつけたら、ちょっと タイの少数民族の民芸品ぽくなった。

    600円よりはグレードアップしたね。


    ママバッグとして活躍中。

    今日もウズい親子です。

    Cocoonデビュー

    アトラス ハンディクラフト展に応募したアイディアが

    ヒヴァの土産物店Cocoonで採用販売されるかもしれない、

    という知らせをもらって半年あまり。


    その採用商品が届いた。


    *トカゲのぬいぐるみ
    トカゲ

    本当は手足と口にマグネットを仕込んで

    冷蔵庫なんかに貼れる写真立て のつもりで応募したのだけど
    とかげ0
    マグネットのちょうどいいのがなかったのか

    その機能は不要と判断されたのか、

    いずれにせよ シェイプのみ採用ということになったようだ。


    *ラクダの写真立て
    ラクダ

    これも本来は こぶにマグネットを仕込んで応募、
    らくだ0

    大中小と作り、写真立てキャラバンにするとカワイイと思ったのだが

    マグネットなしでも カード類は挟めるようで

    ぬいぐるみ兼 写真立て というような感じになったみたい。

    こぶに絵葉書が挟めることに 何人のひとが気づいてくれるかなーという不安はあるけど。


    この二つはどちらも 彼のデザイン・制作で、

    私は マグネットで写真を挟めるようにしたら、とか

    型紙はこういう風にしたら、とか

    ちょっとアイディアを足しただけ。

    でも一応 共同作業の末 生まれ出たカワイイ子たちなので、

    それが実際商品となって ヒヴァの街と

    ヒヴァに魅せられた旅人の家を飾るなんて

    とっても うれしい。


    私が応募したものは、

    残念ながら いまだ採用ならず。

    ちょっと長めに作る ワイヤー入り リボンカチュ-シャ。
    りぼん00

    旅行者なら必ず持っている帽子に巻くだけで
    リボン0
    ウズベクファッション出来上がり。

    老若男女も 帽子のデザインも ほぼ問わないし、

    髪に巻いても 首に巻いても

    ワイヤー入りなので風に飛ばされない。

    ウズ観光には 激しくオススメの一品だったのになー。

    私自身は去年も この夏も とてもよく使ったので

    できれば作ってみてほしいなーと思うけど

    なんだかワイヤーが難しいのだそう・・・。


    でも、以前の商品会議で提案しておいた

    アトラスの写真立てや

    くるみボタンのヘアゴム

    定番テディベアの極ミニサイズ

    などのアイディアは少し商品になっているみたいなので

    ヒヴァ観光の際はぜひCocoonでお買い物を!

    我が家の壁から世界を想う

    赤ちゃんは灯りが好き。

    ウズ太郎もよく天井ばっかり見ていたけれど

    最近は視力がついてきたのか 天井近くに飾ったリシタンのタイル

    じーっと眺めている。
    タイル

    私も一緒になってこのタイルを見つめていると

    唐草や曲線が美しくて繊細で

    ガンダーラやアールヌーボーや

    世界中の美に影響を受け、かつ与えてきた

    誠に偉大な美意識だと つくづく思う。

    こんな美を愛する人たちを十把一絡げに攻撃(または口撃)するのは

    どう考えても スマートじゃないなぁ。

    二冊目

    2013年5月の記事

    私はアドラスとスザニの表紙の なんでも帳 を買っている。

    当時は何に使おうか、と書いたけれど

    実は秘かに 将来育児ノートになると良いな と思って買ったものだった。


    そうして ウズ太郎のエコー写真や妊婦健診の結果などを貼りながら

    つけ始めた育児日記、結構分厚い帳面が このほど2冊目に突入した。
    手帳

    あっという間の十月十日、そして てんやわんやの100日。

    ウズにいる間、あれだけ毎日更新していたブログも

    ひと月に一件 書くのがやっと。

    ウズに関するイベントなどがあっても参加できないし。


    それでも、妊娠中に応募した

    東京農工大の アトラス ハンディクラフト展が

    現在 富岡製糸場で 特別展示されていて、

    うまくいけばウズのcocoonで商品化できるかもしれない(かも、かも しれない)

    というお知らせをいただいた。

    大きなお腹で 前かがみになりにくい中

    ウズを思って夜な夜な作ったアドラスの小物達。

    商品として世に産まれ出てくれたら ウズ太郎の兄弟だもの、

    本当に嬉しいけれどなぁ。

    とっとこウズ太郎

    チモラーシカは サマルカンドの少し先のウルグットで

    かわいらしいスザニを1枚 手に入れました。

    マイスザニ

    スザニには、小さなザクロが いっぱいに縫い取られていました。

    ザクロは実がたくさん入っているので、

    寝室に飾ると子宝に恵まれる という言い伝えがある模様です。

    けれどチモラーシカは、タシケントの家では そのザクロのスザニを

    ずっと暖炉の上に飾っていました。


    やがてチモラーシカは日本に帰り、

    「このブログにはたまにしか登場しなかった彼」と

    ゆっくりゆっくり家を整えはじめました。

    チモラーシカは タシケントでの暮らしを少しでも思い出せるように、

    少し大きめのベッドを買いました。

    そしてタシケントの暖炉で毎日眺めていたザクロのスザニを

    そのベッドにかけることにしました。
    鳥部屋4


    タシケントでは ただチモラーシカの目を楽しませていただけのスザニは

    ベッドカバーになった途端 その力を発揮しました。

    チモラーシカのお腹に、子宝が宿ったのです。


    お医者様に診せると、子供は男の子でした。

    チモラーシカは その子をウズ太郎と名付けて

    お腹が大きくなるまで それはそれは大事に育てました。

    大好きな お酒も お茶も お寿司も 血の滴るステーキも チョコレートも

    チーズも 明太子も 卵かけご飯も ウナギも 我慢しました。


    ウズ太郎はお腹の中で元気に育ち、

    チモラーシカがキュウリを食べると ぼこん とお腹を蹴りました。

    チモラーシカがプロフを作ると、玉ねぎを炒めている時から

    ぐるんぐるんと でんぐり返しをしました。

    チモラーシカが音楽を聞くと、手足をバタバタさせて踊りました。


    産まれてくる前から、なんてウズい子なんでしょう。

    チモラーシカは、ウズ太郎が生まれて大きくなったら

    いつか一緒にウズベキスタンを訪ねたいと思いました。


    産まれてきたウズ太郎は、ウズ太郎の名前を卒業し

    新たな名で呼ばれることになりました。

    けれどウズ太郎の痕跡を、神様はちゃぁんと残してくれました。

    ウズ太郎のお耳は ミフラーブの形をしているのです。
    ウズ太郎の耳フラーブ

    ウズ太郎は 自分のベッドに初めて寝た日、

    壁に自分のお耳と同じ形の青い模様を見つけると

    ずっと眺めては 嬉しそうに笑うのでした。
    ウズ太郎

    チモラーシカはそれを見て、ウズ太郎はやはり血を分けた子で

    自分のウズ愛はDNAに書き込まれるレベルだったのだと思いました。


    ウズベキスタンには紙オムツもありますが、

    家の中ではオムツをしません。

    木の管をお尻にくっつけて、布でぐるぐる巻きにして

    ゆりかごで寝かせます。

    ぐるぐる巻きになった赤ん坊は よく寝ます。

    お尻が濡れないので お腹がすくまで泣きません。


    チモラーシカは夢見ます。

    あぁ、今もウズベキスタンだったら。

    私はゆったりした気持ちで

    おむつかぶれも夜泣きもない子育てができるなぁ。


    けれどここは日本です。

    チモラーシカは ウズ太郎の紙オムツをせっせととり替えながら

    ぐるぐる巻きだけは やってみることにしました。

    そして ウズ屋敷には不似合いな イマドキのハイローチェアを揺らすたびに、

    ウズベキスタンのカワイイゆりかごを 買ってくれば良かったなぁと

    遠く空を仰ぐのでした。

    秋の夜長に

    ラヒモフ窯で最後の最後にできあがったのは

    キャンドルランプだった。

    アリシェル先生が編み出した

    モルタル吹き付けのような ざらりとした肌触りの漆黒のシリーズがあって、

    私はそれを真っ白で作りたいとお願いした。


    そしたら、その吹きつけに使う土は

    特別なところから取って来なければならないので

    ちょっと春まで待ってね、ということになって

    仕上げが進まないまま

    私の出発ギリギリに焼きあがったのだった。

    キャンドルホルダー

    メドレセの窓をイメージしてデザインしたので

    この中から灯りがもれると

    ウズの旅の夜 ― 秋のヒヴァの満月 なんかを思い出す。

    ウズ旅には いい季節が始まるなー。

    日本の家をウズくする⑤ クッション

    軽くてかさばらないという理由で、

    気軽に買いまくっていた ウズのクッションカバー。

    日本に戻ってから ワタを詰めてみると、

    ちょっと驚愕の数…
    クッション

    それでもあちこちの部屋に分散させ

    リビングに残された精鋭に、

    頬ずりしつつテレビを見たり

    よだれを垂らしてうたた寝したりするうち、

    特に↑奥列中央の一番お気に入りのスザニちゃんが

    なんだかワントーンくすみ、縫い目が裂けたりしてきた。


    ホント、ウズの人たちは 縫い代をあまりとらないで

    ジャカジャカ縫っちゃう傾向にあって

    袋縫いとか二重縫いとかもしないので、

    ただでさえ 太糸で割れやすいアドラスやスザニ地なのに

    それで仕立てたものが ますます裂けやすいんである。


    というわけで リメイクを実行した。
    クッション リメイク


    さて、タシケントにいるとき

    ドロップ型のビーズクッションを
    ドロップクッションこういうの
    好きな布でオーダーできる

    工房があって、私はずいぶん迷っていた。

    座り心地はとても良かったし

    アドラスで作ったら さぞカワイイだろうと思ったが、

    でも座ってゴロゴロしているうち裂けてくるんじゃないか。

    それに日本に戻るとき

    ドロップ型の場合、中のビーズもろとも持ってこないと

    ちょっと困るかも。

    でもそれでは かなりのシッピング費になってしまう。


    そんなこんなで 諦めたのだけれども

    今週、無印良品で ビーズクッションをセールをしていたので

    思わず買ってしまった。

    そして 在庫のアドラスをカバーに縫いつけてみた。
    クッション ちょいたし

    お、なんか ウズいじゃーん。

    嬉しくて座った途端 あまりの気持ちよさにストーンと眠りに落ち、

    さっそく寝汗でシミをこさえた。

    続きを読む

    ウズの灯り

    1年前、タシケントの陶芸教室

    帰国直前に焼きあがった 私のランプ用 壺。
    ランプ壺
    壺に見えるけど筒状になっていて

    日本で適当なランプを見つけて この筒壺をかぶせ

    ランプシェードにアドラスを巻けば なんなく完成、という目論見だった。


    帰国して割とすぐ ランプに組み立ててはいたものの

    日本に居ぬ間に ミシンがすっかり固まってしまって

    シェードは1年間 市販品のまま。

    この程 ようやくミシンを整備に出して、シェードを縫い上げた。

    アドラスランプ青い鳥アドラスランプあほ鳥

    ↑左は IKEAのランプ、右は 叔母が拾ってきたレトロな木のランプ を土台に

    壺をスポッと はめただけ。

    ランプシェードはどちらも IKEAで、

    付いていた布を外し 型通りに縫い合わせたアドラスを かぶせただけ。
    IKEA-HEMSTA.jpg
    IKEA-EKARP.jpg

    電気の配線とか理系のめんどくさい手間は一切なし。

    値段もランプが2000円、シェードが2500円位なので

    結構お気軽お手頃にできあがった。


    特に このIKEAのシェードは、ウォッシャブルがウリらしく

    布と骨組みが簡単に外せる構造で 大変オススメ。

    骨が三本で、ちょうどアドラスの幅と合うので、

    新聞紙などに型どりをして 3枚はぎ合わせ

    筒状になった上下にゴムを通して

    骨組みにベロっとはめるだけで、

    かなりテキトーなパターンニングでも問題なくハマる。


    お安く簡単に作りたいなーと思って、

    LOFTやHANDSやネットでも色々ランプキットを探したけれど、

    壺はともかく、アドラスシェードのランプを作りたい方には

    これが一番ラクチンではないかな、と思われます。


    他にも 割れてしまったアロマランプのベースに

    キャンドルランタンのガラスカバーがぴったりハマったので、

    材料費ゼロのミニランプも作ってみた。
    アドラスランプ

    アドラスが灯りに透ける様は、

    とても美しくてカワイくて 心躍るし癒される。

    サヴィツキー美術館

    先日、何の気なしに BS Premiumをつけたら

    NHKアーカイブスが始まったところだった。

    亀山郁夫が旅する ロシア・アバンギャルドの特集で、

    あ、この感じなんか懐かしい、サヴィツキーっぽいぞ、と身を乗り出したら

    やはりヌクスの美術館を巡るドキュメントだった。


    ヌクスは、アラル海や 船の墓場のあるムイナク への玄関口として知られる

    ウズベク西部 カラカルパクスタン自治共和国の首都であるが、

    ヌクスの観光の目玉は もう一つ、この サヴィツキー美術館

    ロシア・アバンギャルドと カラカルパク民俗工芸の殿堂である。

    Lysenko_Bull (270x350)
    ↑サヴィツキー収蔵品の中でも有名な Vladimir Lysenko作 「雄牛」
    (上 ホームページより)


    私がアラル海を訪れた時は 美術館を見る時間がなかったものの、

    その後、収集家サヴィツキーの生涯や 美術館の収蔵品 を丁寧に紹介する

    ドキュメンタリーが ウズベキスタンFORUM TVで ヘビロテに再放送されていて、

    結構 面白かったので ちょっと行った気になる程には観たと思う。

    サヴィツキーのインタビューでの いかにも神経質そうな高い声や、

    そこにちらちら映る 60年代の女子学芸員達が着ている

    アトラスで仕立てた レトロな60’sファッションが衝撃的にカワイかったり、

    乙嫁的な民族衣装のコレクションが印象的だった。

    しかし私には、その収集された絵の価値はよく分からなかった。

    ↑の牛がカワイイな、と思った程度だった。


    ところが今回 日本語で見ると、その理解度はまるで違うものだった。

    1910年代に登場したロシアのアバンギャルドは、

    レーニンには革命的と奨励されたのに

    1930年代にはスターリンによって規制の対象となっていた。

    モスクワやサンクトから多くの芸術家が

    中央の目の届きにくかった南国タシケントへ流れてきたそうだ。

    薄曇りのドイツの芸術家たちが

    アルプスを越えたイタリアの太陽に強く憧れたように、

    きっとソビエト人たちも

    おおらかでのんびりとしたウズベクの太陽の恵みを

    大いに享受したに違いない。

    そして地方の貧しい現実を見て

    ますます創作意欲をかきたてられたことだろう。

    ドッピをかぶったウズじいをモチーフにしたり

    外国人がみて あ~いいな~、と思うウズベクの日常を

    切り取ったような作品も多く残されている。

    ところがそれが 反体制だと言われてしまう時代の波が

    ウズベキスタンにも到達してしまう。

    多くの画家が木枠からキャンバスをはがし

    たたんで丸めて屋根裏に隠さざるを得なかった。

    それを60年代以降、サヴィツキーがこっそり発掘し集めていったことで

    ロシア本国にもない ロシア・アバンギャルドのコレクションが

    出来上がった。


    番組は、抑圧された画家の背景を追っかけて

    ウズベクの公文書館だけでなく

    モスクワやサンクトにまでも飛び かなり深く突っ込んだ

    美術ミステリーのようなドキュメントになっており、

    ちょっと興奮する出来だった。


    これはやはり、アラル海旅行の頃に見に行ったって

    まったくその価値も意味も分からなかったはずだ。

    高麗人問題などを通じて

    すこーし スターリン時代の抑圧の恐ろしさを理解するようになった今だからこそ

    アバンギャルドにも ようやくちょびっと興味が持てたというもの。


    興味を持った方、再放送があります。

    2/13(木) 0:45~ NHK BS-3

    ↑ごめんなさい
    去年の情報でした
    見たい方はオンデマンドからどうぞ


    尚、2003年製作なので

    タシケントの街並みもちょっと古いし、亀山先生も若い。

    美術館の資金難も深刻だと まとめられていたが、

    今はフランスなど海外からの支援も少し入っているので

    多少だろうけれど 状況は良くなっていると思われる。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

    帰国して5年
    経ちますので
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