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    ハイートのタシケントに輝く白

    こないだラマダン・ハイートだと思ったら もうクルバン・ハイートだ。

    去年末から気になって定点観測していた

    アリシェル・ウスマノフのモスク
    ウスマノフモスク(4月)

    7月には、表向き ウズベク イスラム庁の予算だが

    ウスマノフがスポンサーなことは皆知っている、と報道もされた。

    ところが、ウスマノフはこれを否定。

    いつでも寄付をする用意はあるが、関わってはいないと声明を出した。

    建設に関わったのは、アリシェル・ウスマノフではなく

    オリンピック委員長のミラブロル・ウスマノフの方だ、という噂も流れた。

    真実はよく分からない。


    分からないまま 9月に 完成間近、と出た。
    ウスマノフ モスク (350x224)(Uzbek MDKより)
    Facebookで見ている限り、若い人の反応はすこぶる良い。

    月末には 無事完成、10月4日オープン予定、と出た。
    ウスマノフモスク完成 (350x245)(Uzbek MDKより)
    ネット上では、なんて美しいんだ、という反応が あがった。

    通称 ミノール モスク というらしい。


    その姿は、タージマハルと比較される白亜の大神殿。
    ウスマノフ モスク タージ (350x180)(Uzbek MDKより)

    実際、周囲はアンホールの水が流れ 素敵に整備された。
    ウスマノフ モスク 2 (350x245)(Uzbek MDKより)

    夜も美しくライトアップ、24mの 細い細いトルコ風ミナレットが際立つ。
    ウスマノフモスク夜 (350x244)(Uzbek MDKより)

    内装中の内部の様子もネットには出ており、
    ウスマノフ 内部 (350x245)(Uzbek MDKより)
    左下の↑女性が スカーフもかぶらず携帯片手にモスク内を闊歩していることに

    目くじらを立てる声も聞かれた。


    あれあれ、ウズベクって タシケントって、

    こんなにイスラム色強かったっけ?!と

    驚いてしまう展開だ。


    そして オープン日、ハイートの朝の光景は
    ウスマノフ モスク ハイート (350x245)(Uzbek MDKより)
    びっしりの礼拝者。

    キャパは2400~2500人で、ウズベクでも最大級のモスクだという。


    ウズベクのモスクは、アザーンも控えめで、

    その時刻にモスクの敷地内にいなかったら 聞こえることはない。

    これまではそうだった。

    ここはどうだろう。

    目抜きのアミール・ティムール通りからも すぐで

    直近にはNBUはじめビジネスセンターが目と鼻の先。

    一大電気街のマリカのすぐ裏という 新市街のど真ん中の巨大モスク。

    私が住んでいた家からも割と近い。

    まだ住んでいたら、毎朝毎晩アザーンが聞こえるんだろうか。


    何言ってるかは まるで分らないけれど、

    アザーンが あちこちのミナレットから いくつもズレながら聞こえるの、

    私は結構好きだ。


    ウズベクは、この程 対ブロガー規制を発表して

    ネット上での言論に締め付けを加えていく方向だ。

    ウ露関係や大統領後継者問題などが相まってのことだろうけれど、

    グリちゃんが迷彩服の男に腕をつかまれてどこかへ連れて行かれる画像なども出回って

    そうそう、独裁国家の一つだったんだったんだよな、と思い出させる

    ちょっと怖い面が強くなってきている気がする。

    それでいて、モスクの数を増やそうとしている。

    カリモフっちのカリスマ性を、今後は宗教に集約しようとしている

    ということなのだろうか…。

    知らない国になっていく。


    そんなウズベク、まもなく CXの「ほんとこ」に登場予定だそう。

    しっかりお勉強しようっと。

    タシケントの名所~独立広場で思うこと

    9 / 1 は23回目の独立記念日。

    これに向けて、タシケントでは野犬・野良猫の処分が行われたりしたほか、

    8/19には独立広場にもほど近い高層ビルの屋上で

    ロシア語が難しくてよくは分からないものの

    大統領のボディーガードが銃身自殺する事件(?)があったらしく

    何だか血なまぐさいタシケント。

    それでも9/1には、ムスタキーリク・マイダニ(独立広場)は

    また そぞろ歩きの人で溢れかえるんだろう。


    ここのシンボルは何と言っても 喜びの母像の後ろにそびえたつ

    おおきな 地球儀。
    チュッパチャプス
    通称 チュッパチャプス もしくは クルトの像。


    祝祭日になると、

    国の要人や子供たちが 花輪を捧げるプロパガンダ映像が流れるので、

    タシケントっ子は、祝祭日はなんとなく ここをそぞろ歩き、

    自分達の結婚式でまでも ここに献花し

    このチュッパチャプス前で写真を撮る習慣がある。


    このチュッパチャプスは異様に でかい。

    手前の 喜びの母 は、戦没者慰霊のコーナーにある 嘆きの母 と対で

    平和な世に生まれた子を寿ぐ母として 人権を表しているが、

    後ろの地球儀は 独立万歳を叫ぶにしろ

    こんなに大きい必要があるだろうか、と ずっと思っていた。

    大きいくせに、台座とのバランスが何だか合っていないように思われ、

    それが レジ横の紙箱にボスっと刺さった 首なしチュッパチャプスを

    彷彿とさせてしまうのだ。


    でもある時、昔のタシケントの写真集を見ていて あっと声が出た。

    このチュッパチャプス、独立前は レーニン像が載っていたのだ。
    レーニン像
    (写真:http://www.farang-mag.com/?p=2592 より転載)

    広場の名もレーニン広場と言った。


    言われてみれば当たり前だ。

    それまで なぜ気がつかなかったのだろう、というくらい当たり前な話だった。

    ウズベキスタンホテル前のアミール・ティムール像だって
    アミール・ティムール像

    その前はマルクスやスターリンやレーニンの像だった。

    こんなレーニンもタシケントのどこかに建っていたらしい。
    レーニン アミール
    (写真:http://fuckyeahmarxismleninism.tumblr.com/post/60202357399/an-early-statue-of-v-i-lenin-unveiled-in-1924-inより転載)


    とにかく、独立広場のレーニンは、

    当時としては世界最大級のレーニンだったのだそうだ。

    台座が大きいわけである。


    その超ド級のレーニンを引きずりおろして載っけるものは、

    とても「ウズベク」なものでなくてはならない。

    というわけで カリモフっちは、強い愛国の決意で

    ウズベキスタンだけをレリーフにした 超ド級地球儀を載せた。

    このモチーフが気に入ったので あちこちミニチュアまで作らせたという。

    これをカリモフ像にしなかったところは、褒めていいだろう。

    トルクメニスタンは金ピカのニヤゾフ大統領像をあっちこっちに建てたのだから。


    とはいえ、レーニン像やソビエトものが消えても、

    広場や公園には なにかモニュメントがあるもの、という刷り込みは

    ウズベクから消えるものではなかったようで、

    ぽっかり空いた空間や台座の上に 何か「ウズベク」なものを、と

    その後のウズベキスタンでは アミール・ティムールやら

    ミルゾ・ウルグベクやら アリシェル・ナヴォイやら ショータ・ルスタベリやらが

    場所ごとに様々なポーズで載っかることになった。


    崇拝するものを変えただけで、結局やっていることはソビエト時代と変わらない。

    偶像崇拝を禁ずるイスラム教を国教としながら

    CISは銅像大好きな文化を ロシアから受け継いでしまっている。

    旧支配国と独立国の関係の密着度は はかりしれない。

    ウズベクで感じたソビエトやロシアの些細な痕跡が

    ウクライナ情勢を見ていると 思い出されてくる。

    ずっと平和だといいね。

    チンネバザールよ 復活するのだよ

    アブサヒ・イッパドローム バザール向かいの 食器・キッチン用品専門バザール

    チンネ バザール ↓ が火事にあったそうだ。
    チンネ

    報道によれば、休みだった月曜の深夜 200店舗が全焼、真っ黒焦げである。

    数日前に配線ショートによるボヤ騒ぎがあったものの

    今回は放火の疑いが濃厚の模様とのこと。

    かわいそうに。


    ここは、ウズベクで最もベーシックである

    白地に紺のパフタ(綿花)柄の食器が何でも揃う。

    お返し

    皿やチャイニク(ティーポット)やナプキン立て等は

    どんなバザールやスーパーでも売っているが、

    チンネに来れば、パフタシリーズの

    花瓶や コーヒーカップや マグカップといった レアなアイテムも見つかるし、
    チンネ2

    作家もののティーセットも市価より安い。
    チャイニクセット

    1~2店だけだが リシタン焼きの直売店もあって、

    今出来のウズ食器を 本格的に買い集めたい人や

    キッチン用品が家に全く付いていない人が 鍋釜を揃えるには 大変良かったのに。


    キッチン家電も多く扱うので、その辺を狙って押し入り

    証拠隠滅のために火を付けたのだろうか。

    今も我が家で活躍する食器を買ったバザールが放火の憂き目なんて

    切ないニュースだった。

    住んでいた家の秘密

    私がタシケントで住んでいたのは、ウズベク人ばかりが住むマハラの一軒家。

    うち

    ウズベキスタンでしか住めない家 を探して 20軒 見て決めた。

    気に入ったポイントは、昔ながらのレンガと石と木で造られたところと、

    庭に実のなる木(柿)が生えていたこと、

    内装が ソビエトとウズベクのアンティークな感じだったところ。
    うちのキッチン

    客間の天井はブハラ風の鏡細工で
    うちの客間

    ベッドルームはロシアの貴族の館の様で
    うちのアンティークベッドルーム

    絨毯も スンドゥクも ドゥタールも スザニも イロキも
    うちのスンデュク
    その他ウズベク工芸の全てが 博物館並みに飾られていた。


    その割には 家電もキッチン用品も非常に充実していて、

    電子レンジも 食洗機も ドラム式洗濯機も BSテレビもあったし (全部壊れたけど)、

    収納も沢山あり、夏は涼しく、とても暮らしやすかった。

    もちろん おんぼろなので、隙間風や 修理多発の問題はあったけれど

    それはきっとどこの家に決めても 同じことだったはずだ。

    気に入って選んだ家なので、そうした問題の数々も 笑って乗り越えることができた。


    ただ、唯一納得しかねたのは

    この家の真の持ち主は 私の大家ではなく、大家の 娘の旦那であったことだ。

    その一家はアメリカ在住。

    私の大家は、代理でこの家の管理をしているにすぎなかった。

    公的な書類上は、いまも その一家が住んでいることになっているので

    ゴミ代や 水道代は、5人家族分を請求されてしまうし、

    税金やら、事情が分からない請求が 山と来た。

    大家も 娘夫婦を頼って、年の半分はアメリカに行ってしまうので、

    なんだかわからない書類を放っておいたら

    マハラの長老から役員総出で いい加減に金を払え、と取り立てに来られたこともあった。


    それでも立派な図書室はあるし、

    来る人来る人 この家の人は何をしていた人?と聞くくらいの立派な家なので

    もう この家ってなんなのかしら、と思っていた。


    そうして3年、この家を出る数日前 近所のお兄ちゃんのおじさんから

    この家の秘密を聞いた。


    君、知らないで住んでいたのかい?

    試しに この家の旦那の名前をネットで引いてみると良い。

    このマハラの道路も全部彼が作ったんだ。

    彼は テルメズのドイツ軍の飛行機に燃料を売る仕事で一財なしたんだよ。

    ウズベクに スーパーを15軒持っていて、家も何軒もあった。

    人望もあった。

    ところが、人気があり過ぎて 次期大統領は彼だ、なんて声が上がってしまったものだから

    上から睨まれて、スーパーはお取り潰し、各家も没収。

    それで アメリカに逃げたってわけさ。

    君が今いる家は、奥さんの名義にしておいたから残ってるんだよ。


    ほほう、それで大家が管理してるのか。

    広くて立派な家の割には 借り手もつかないもんだから

    割安に貸してくれたのだな。

    この家を借りてくれるなんて、あなたは変わってる、と

    大家もよく言ってたし。

    大家は昔アフガンで仕事をしていたと言っていたけれど、

    きっとその燃料関係だ。

    それで娘を この家に嫁に出したに違いない。


    私が出た後、この家はすぐさま貸さずにリフォームすると言っていた。

    私が気に入った 吹き抜けの大窓も埋めて壁にしてしまうという。

    もったいないことだが、

    この秘密のヘンテコおんぼろハウスを

    大富豪が建てて住んだままの姿で借りた最後のガイジン、

    という栄誉をもらっておこう。

    恋しいウズベク ~TTZ

    日本に帰って来てみたら、家の最寄りのスーパーと八百屋が無くなっていた。

    スーパーはどうでもいいけれど、八百屋がないのは痛い。

    しかも消費税も8%になっているから、何もかもが とっても高く感じる。

    ・・・はぁぁぁ~、バザールが恋しい。


    タシケントでお世話になったTTZバザールは、実は通称。

    TTZとは その地域にある工場の名前で、正式名称は シリンバザール。

    今年から目の前にスーパーカルジンカがオープンしてしまったので

    ここも色々痛手だとは思うが、

    あたたかい売り子さん達の笑顔は変わらない。


    いつも葉物野菜を買っていたお姉ちゃん達。
    TTZ1.jpg
    口癖は ешё чо? イショーチョー=あと何?

    その声に押されて いつもついつい

    んじゃこれも、イショーチョー、んっじゃぁこれも、イショーチョー、じゃぁこれももらっとこかな、と

    買いすぎてしまったものだった。 いまは自分で言うしかない、イショーチョー。


    豚肉専門店 「ニコライの豚肉」の店主、ニコライさん。
    TTZ2.jpg
    まず 今日はなんにするね、と聞く。

    今日はね~、とショーケースを見まわして、これが良いわ、と私が指さすと

    うん、とうなずいて ガンっと斧で切り分けて こんなもん?と聞いてくれる。

    そうして計って、言われた値段を払うと、必ず1000ソム返してくれる。

    律義に不器用な程 真面目に商売をしている、ように見える、

    高倉健のようなおじちゃんだ。


    ナッツとレーズンを買っていたのは いつもこのおじちゃんから。
    TTZ3.jpg
    おじさんのこだわりは、ピスタチオだけはイラン産がベスト!ということ。

    味見させてもらうと確かにイラン産の方が圧倒的に美味しいので、

    いつもそっちを買っていた。

    それでも敢えてウズベク産ピスタチオを買うと ちょっとブーたれる。


    毎回一列ズラッと味見をして買った旬のフルーツ。
    TTZ4.jpg
    5月はいちごの季節。

    そろそろマリナ(ラズベリー)も出ているかな。

    あの香りが大好きなので、去年の夏ジャムにしたものを

    1ℓ瓶で持って帰ってきた。


    イシィリク焚きのおばちゃん。
    イスィリク
    魔除けの香草を焚いて バザール中を歩いて周って、無病息災を祈ってくれる。

    御礼は200ソム(70円)くらいから。

    単価も低いし、あっち行けよぅ と邪険に言われることも多い

    なかなかつらい仕事。

    記念に写真に撮らせてと言ったら、とっても喜んでいた。


    あぁ!みんなに会いたいなー。

    タシケント温泉 メルシアン

    タシケントを発つ日、

    私は職場始め お世話になったところへ あちこち挨拶に行き、

    合間には 大好きなプロフ屋で 最後のランチをした。
    プロフ1
    プロフ2

    そして夕方― 空港に行くまでにはまだ間がある。

    暑くて埃っぽいタシケントを1日動きまわっていた身で

    飛行機には乗りたくない。

    わずかな隙間時間に、温泉へ行った。

    やはりタシケントの垢はタシケントで落として帰らねば。


    タシケント中心部から、ゴルフ場方面へ車を走らせると

    まず目に入ってくるのは SHIVAKI japanの工場。
    温泉1
    ウズベク家電メーカー Artel の工場と並んで建つ SHIVAKI は、

    ロシア東欧に強い家電メーカーで、

    前身は日いづる国 日本で生まれた会社、という触れこみになっている。


    その胡散臭いSHIVAKIを横目に ゴルフ場の前も通り抜け、

    そのまま市境の検問を越え フェルガナに向かう道を走っていくと

    右手に 高い塔と警察の詰め所が見えてくる。
    温泉2
    その先でUターン。

    タシケント方向へ戻りつつ、
    温泉3

    アフマッド ヤサウィーという 元高麗系コルホーズの集落を目指す。
    温泉4
    アフマッド・ヤサウィーは カザフのトルキスタンにあるイスラム教の聖地に祀られた

    偉大な詩人の名前。

    210ヘクタールに800世帯4000人が身を寄せ合って暮らすうちの

    約半数がいまも高麗系である。

    この辺は、パリットアッジェールや北斗星などの優良コルホーズが固まっている。


    右手を注意しながら進むと、

    SURAMKENTという農村に入る立て看があるので そこで右折する。
    温泉5
    牛や羊を横目に見ながらひたすら道なりに進むと、

    建物の門が見えてくるので、これを左折。
    温泉6
    さらに道なりにうねうねと進むと、やがて突然ハングル看板が現れる。
    温泉7
    画像は裏から撮っているので、

    実際には アリラン療養院が右折、温泉メルシアンが左折。

    アリラン療養院は、韓国が2010年に建てた特養老人ホームで

    身寄りのない高麗人が40人ほど暮らしているという。

    ここには 高麗人の暮らし博物館 を作る計画がある様なので

    興味のある人は見学してみると大変興味深いのではなかろうか。


    ここを曲がるとすぐ正面がメルシアンの正門になっている。
    温泉8
    ここまで、タシケント中心部からおよそ車で30~40分。

    正門をくぐって右に進むと、温泉場である。


    この温泉は、地下2400~2600mから

    毎分27トンも湧き出る 源泉61度の豊かな水量で

    ウズベクで唯一の硫黄温泉である。

    アトピーなどの皮膚疾患から、気管支炎などにも効き目があるという。


    1965年に高麗人が掘り当てサナトリウムにしていたものを

    2003年に韓国人が買い取り リフォームしたため

    なかは古さが否めないが 不潔ということはない。

    脱衣場は鍵のかかるロッカー、トイレ、鏡付き洗面所が設けられ
    温泉9

    大きな湯船の他、水風呂、温泉と地下水の水槽、サウナ、シャワーがあり
    温泉10
    アカスリとマッサージのオーダーも可能。


    ひとり25000ソム(750円)、VIPカードがあれば15000ソム(450円)。

    タオルは2枚渡され、アカスリタオルは無尽蔵に積んである。

    石鹸とシャンプー、ドライヤーが備え付け。

    男性なら手ぶらで、女性はコンディショナーと化粧水を持って行けばいい。

    季節により営業時間は異なるが、

    今のところは 13:00-20:00、月曜休。


    近くに豚牧場があり、シーズンになるとレストランがオープン、

    サムギョプサルや家鴨料理を出す。

    緑の中、縁台に寝そべって休んでは また湯に入るスタイルで、

    近隣の高麗人や韓国人は10日ほど湯治に通うという。

    高麗コルホーズを訪ねる 韓国人の観光ツアーにも

    ゴルフとともに必ず組み込まれている、名所である。


    硫黄臭はかなり強いので、湯上りにはしっかり石鹸で身体を洗い

    シャワーでよく流さないと、数日は自分が ゆで玉子の臭いになる。


    しかし、お客も少なく 大変リラックスできる 懐かし沐浴湯の風情は

    なかなか素敵。

    思わず鼻歌なんか歌っちゃうと、

    湯加減を見に 突如ウズ人スタッフが入ってくることがあるので こっぱずかしいかも。

    バブール公園

    タシケントの公園は 偉人の名がついている。

    中央公園は 天文学者のミルゾ=ウルグベク公園。

    ナウルーズの公園は 詩人のアリシェル・ナボイ公園。

    そして、ショータルスタベリ通りにあるのは

    ムガル帝国の祖にして詩人 バブール公園。


    ボートを漕いだり
    バブルパルク 炎天下

    射的だとか 射的だとか やっぱり射的だとか
    バブルパルク お祭りバブルパルク4
    古いアメリカ映画に出てきそうな遊具や ベタな屋台のお菓子。

    そして今にもポッキリ折れそうな古い古い観覧車は
    バブルパルク 観覧車

    意外と高くまであがる。
    バブルパルク 観覧車から

    とてもソビエトで、レトロで、スリリング。

    暑くなると、夏休みのノスタルジーだろうか、

    この公園で炎天下あそんで ぐったり疲れたくなる。

    本当に夏が似合う縁日の風情の公園だ。


    しかし、今日 最もにぎわうのは独立広場。

    追憶の日(旧対独戦勝記念日)なので

    ここを何とはなしに そぞろ歩く人でぎゅうぎゅう。

    例年だと、付近で 夜9時ごろ 10発 花火があがるはず。

    日本の昭和な夏が懐かしい人は、昼間 縁日 夜 花火 コースをどうぞ。

    日曜のお買いもの

    日曜でも開いている韓国食材店は

    ヘドジ(ミラバッドバザール向かい)と

    ハングクマガジン(ミラバッドバザール並び)。

    そしてOKマーケットというのがいつの間にやら

    ミラバッドバザールの西側むかいにオープンしていた。
    OKマート
    品揃えは他と変わらない。

    真っすぐな 豆もやし、サムギョプサル用豚バラ肉もある。

    ただいま、焼き塩などセール中。


    ただ豆腐が日曜にもあるのは ハングクマガジンと バザール内高麗人の総菜屋のみ。

    資産はまだある

    以前紹介した、ウズベク一成功したアリシェル・ウスマノフのモスク

    だいぶ形になってきている。
    ウスマノフモスク

    相当に大きくて立派なものになりそうだ。

    完成したら、新たな名所になるかもしれない。


    ウスマノフは、この度のウクライナ危機で急落したロシアルーブルによって

    資産が19億ドルも目減りしたと報道された。

    19億ドル減ってもまだ持ってるんだろうけど

    このモスクの建設費は おいくら万ドルなんでしょう。

    赤いタイヤ

    タシケントに住んで丸3年、

    地球の歩き方に載っているタシケントの名所は

    初めの半年でほぼ周りきったが

    まだ残してあったのが 抑圧犠牲者博物館。

    テレビ塔の向かい、運河のほとりに建つ美しい建物だ。
    抑圧犠牲者博物館
    入ってすぐ、黒塗りに赤いタイヤが奇妙に目立つ車が展示してある。

    これは、銃殺刑に処す政治犯・思想犯 を連れてくる車。

    黒いボディに真っ赤なタイヤの色合わせは、大変恐れられたそうである。

    今この博物館が建つ場所が刑場であった。


    2つ目の間には、メトロ駅名となっている

    幾度も映画になった「過ぎ去りし日々」の作者アブドゥラ・カジリや

    薄っぺらい緑のノートの表紙になっている詩人チョルポンなど

    私でも耳になじみのある名前の文学者の写真の数々がびっしり貼られている。

    彼らは 民族的文学を著しただけでなく、シェイクスピアのウズベク語訳など

    ウズベク文学の向上に力を注いだが

    思想犯として収容され、妻もろとも殺された。


    スターリン時代の1930年代当時、

    ソビエトにはこうした政治・思想犯を収容するラーゲリが
    抑圧 収容所
    領内各地にあり、地図に赤丸で示されているこれら全てがそうだという。

    ウズベクではタシケント州だけで 大きいのが4つもあったようだ。


    他にも、タタール系、ドイツ系、ウクライナ系、高麗系など、

    様々な民族が流入してきた歴史など

    あらゆる意味で ロシア ソビエトに 翻弄された人々をとりあげている。


    3つ目の間は、独立後 いかに荒れ果てていたイスラム建築を再生したかや

    大スキャンダルとなった綿花労働状況を改善したこと、など

    カリモフ大統領の偉業の数々が展示されている。


    住んでいようが働いていようが、外国人は5,000ソム(170円)

    ウズベク人は2,000ソム(70円)。

    展示説明はウズベク語しかないが

    ロシア語でなら、館内のウズベク人が 小声でざっと説明してくれる。


    最初の年に行っていたらさっぱり分からなかったろう。

    何年か住んだ人には、結構興味深い博物館だと思う。
    プロフィール

    チモラーシカ

    Author:チモラーシカ
    ウズベキスタンの首都
    タシケントで
    働いたり 趣味に燃えたり
    壊れまくる冷蔵庫に泣いたり
    の毎日を経て、
    ウズベク暮らし4年目の夏
    日本へ帰ってきました。

    趣味: ものづくり 韓国語
    モットー: 何でも食べる

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