米原 万里の
「パンツの面目ふんどしの沽券」 という本を 大変面白く読んだ。

ちくま文庫(2008)
彼女は、ロシア語の翻訳・通訳を生業とし
NHKのロシア語講座なんかも 一時期 受け持っていたと思う。
その頃は、おばさんぽくて好きではなかったのに、
ある日本屋で 彼女のエッセイ「旅行者の朝食」を
たまたま 手にとったらば 抱腹絶倒。
以来、彼女の ファンだった。
この本は 彼女の 闘病中にも 書かれていたようで
あとがきを読むと ぐっと来るものがあるが、
本編そのものは 軽妙で、
続きを続きを、と 没頭させる 中毒効果がある。
これは私のウズ語の先生から お譲りいただいたもの。
ロシア語つながり、ということで この本を 選んでくれたのかと思ったら
読み進むうち、ウズにいるからこそ 余計に面白い、と思える部分が
たくさん出てきた。
先生は、私の 環境と 性格を 計算して 持ってきてくれたのだった。
この本は、題名のとおり
パンツと ふんどし、そして その中身 に関する話が
割かし 壮大なスケールで語られる。
アダムとイブの 大事なところを隠している イチジクの葉っぱは
どうやって くっついているんだ、とか
磔のイエス・キリストの まとっているものは
パンツか 腰巻か ふんどしか、とか
くだらなくも 素朴な疑問を 解明している、
と聞くと ちょっと興味をそそられませんか。
中でも 出色なのは、
シベリア抑留兵たちの 証言から ロシア人の パンツの中身を 考えるところだ。
つまり、ロシア人は トイレの時 どうするか、という話である。
当時、抑留者達には、支給品が ほとんどなかった。
私が かつて聞いただけでも、
文字を書いては いけなかったので、
慰みの句会を 焚き付けに 消炭で 書いては燃す という方法で 隠れ開いていたとか、
日本の家族からの 仕送り品も 何がしか いちゃもんをつけられて
(例えば CAKE のパッケージを サケ=酒 と 読むなど)
ロシア兵に 没収されてしまうのが 常だったというから、
本当に何にも もらえなかったろうと思う。
その 困った状況下の 抑留者達が、これまた特に 困ったのが
トイレの紙 だったそうである。
紙と名の付くものは、メモだろうが ちり紙だろうが
もらったことは ただの一度もない、という。
みんな 綿入れの 綿を抜いたり、コートの裏を裂いたり、
何とか工夫して お尻を拭いていたけれど、
紙をくれないことへの 不満は 相当なものだった。
シベリアのトイレは、巨大な巨大な穴に 何本も 板を 井桁に渡して
好きな 格子に陣取って しゃがむ、という
壁も屋根もない 大部屋 青空 トイレだった。
時には ロシア人将校さんも 抑留者と一緒に 用を足すことがあった。
そんなときは 当然、彼らのお作法も 見えてしまうわけだ。
するとどうだろう、彼らロシア人は
ズボンをおろして しゃがんで 用を足したと思ったら、
サッと立って さっさとズボンをあげて 行ってしまうではないか。
あれ~、ロシア人は 紙 使わないのか! だから俺らにも くれないのか!
という大発見が、あちこちのラーゲリで あったのだそうだ。
と同時に、なぜ 紙が要らないんだ、どうしてるんだ、という疑問も
シベリア中の 日本人の 頭の中に 湧き上がった様である。
この先は、日本に帰国したあとも ひきずっている人と、
シベリアにいる間に 解明できた人 とが いるのだが、
日本人とロシア人とは 食物の歴史が違うため、
腸の造りが 根本的に 違うらしい。
彼らの うんちゃんは ウサギの糞のようであった、
あれなら 紙で 毎度拭く必要は あるまい、という証言が残っている。
しかし同時に、当時は シャツの裾が 殿方の下着 であるから、
彼ら ロシア人の シャツの裾は 茶色かった、という話である。
この話は、かなり笑いのエッセンスがあって
へぇ~へぇ~と 読んだのだが、
ウズベク抑留者達の おトイレは どうだったのだろう、と とても気になった。
穴の青空トイレだったことは 疑わないが、
紙にしろ 指にしろ 拭く文化なのか、水や砂で 洗う文化なのか、
そのまま立ち上がる文化なのか、
ウズベクのおトイレの歴史を 調べてみなくてはなるまい。
そもそも、どんな形状のパンツだったのか、
女性はどうだったのか、
もやもやが 一杯だ。
誰に聞いたら、こういう話、ドン引きしないで 答えてくれるかしら。
今後、ウズにいる間、本ブログのテーマのひとつとして
追いかけていくつもりなので
トイレや パンツの話題が 増えるかもしれないが、
どうか 引かずに ついてきてください。
文化人類学的視点で 、ひとつ・・・